俺が米田司令からの次期帝撃総司令にとのお話を受けてから1週間近くが過ぎようとしていた。
皆へはその翌日に『まだ正式な辞令ではないのだけれど』と前置きをつけたところでかえでさんの口よりその旨が伝えられた。
思い掛けないその発表に皆一様に驚きを隠せないようであったが、次の瞬間には口々に祝いの言葉を俺にくれた。
だが、その胸中は俺同様に複雑だったに違いない。
いつかは来るとは思っていた新旧体勢の交替だったが、こう目の当たりにすると何ともどうしていいのか解らないというのが本当のところだ。
帝撃総司令…米田司令の双肩にかかっていたその重圧が今度から俺の肩にもかかることになるのだ。
『お前はお前らしくやればいい』と米田支配人の言葉が有難かった。
そして、『お前の道を生きろ』とまだ躊躇っていた俺の背中を押して下さった。
その言葉で俺は決心がついたんだ。
…彼女とともにこれからを生きていくことを。
昼間の賑わい振りが嘘であるかのように静まりかえる夜の帝劇。
日課である夜の見回りをしながら、思わずため息をつく。
あれから1週間近くが経とうとしているのに彼女とまともに話をしていない。
昼間は引継業務やら何やで俺が忙しい所為でほとんど顔を合わせることがなく、夜公演も終わりようやく話せるかと思えば、彼女の方で用があるからと誰かの所に行ってしまう。
…どうにも俺は意図的に彼女に避けられているようだ。
彼女のことだから今回の総司令任命で俺が帝都に残るものだと思っているのかもしれない。
そのことを口に出されるのを恐れているのかもしれない。
弱さと脆さを強がることで隠している彼女だから。
今夜こそはきちんと話をしなければと思う。
地下、1階と見回って正面玄関の鍵を確認したあと、ロビーの階段を上がりきるとテラスに人影が見えた。
月明かりに照らされて銀座の街並を見ているその後ろ姿は間違うはずのない彼女で。
俺はテラスへと足を向けた。
「…隊長、ここから見るギンザの灯りはやはり美しいな」
俺に気付きながらも振り返りもせずに彼女が言った。
「ああ…」
「貴公は…これからもこの灯りの一つ一つを守っていくのだな…」
「…グリシーヌ、俺は、」「私たちは…」
俺の言葉を遮るようにグリシーヌが言う。
「1週間後に巴里に帰る。先ほど皆と話し合ったのだ。そうそう巴里を留守にも出来ぬしな」
「グリシーヌ、俺は…」
「…それでは、失礼する」
そう言って早々に立ち去ろうとするグリシーヌの進路を遮るように立つ。
「話を聞いてくれ、グリシーヌ」
「私は貴公と話す事などない…。そこを退いて欲しい」
「退いたら君は行ってしまうだろ!?俺の話を聞いてくれ、グリシーヌ!」
「退いて欲しいと言っている」
「どうしても俺の話を聞いてはくれないんだな?」
「…ああ。聞く気はない」
あくまでも俺と話をする気のないグリシーヌの手を取り、ある場所へとグリシーヌを引っ張るようにして向かう。
「!」
「……………」
階段を上がって屋根裏部屋まで来たところで、窓を開けると屋根を指差しそこに上がるようグリシーヌに指示をした。
「…何があるというのだ」
「いいから。早く上って」
「貴公らしくないな」
俺の唐突で強引過ぎる行動に非難めいた口調でグリシーヌが言う。
「君がらしくないからさ。とにかく上がってみてくれ」
そう言ってグリシーヌを促す。
グリシーヌが上がったのを確認して自分も屋根に上がる。
当然、強引な俺の口調にグリシーヌは不機嫌な表情を隠さない。
「…そこに立って何が見える?」
俺と目を合わそうとしないグリシーヌにそう問い掛ける。
「……………」
「たくさんの街の灯りが見えるよね」
「……………」
「俺にはその灯りの一つ一つは帝都も巴里も変わらないように見える。その灯りの一つ一つは同じものを照らしているように見える。それが何だか君には解るよね?それとも君には違うものが見えている?」
俺たちは方法こそは違っても同じものを見てきたじゃないか。
だからこそ、俺は…。
「そこまで私の目は曇っていない!…あの灯りの下にあるのは人々の暮らしだ。それはトーキョーも巴里も変わらない。私たちはこの灯りの一つ一つを守る為に戦っているのだ!」
そう、同じ思いじゃないか。俺たちは。
そう言い切ることが出来る君だからこそ俺は…。
「そうだ。帝都も巴里もない。俺たちは帝都市民とか巴里市民とかそんな事は関係なく、人々の暮らしを守っているんだ」
「…貴公から教えられたことだ。そして、その貴公が今度は総司令となってこのトーキョーを守るのだな…」
眼下に広がる帝都の夜景を見つめながらポツリとグリシーヌが言った。
「ああ。巴里もね」
「そうか…、巴里もか。フッ…、貴公はやはり貴公なのだな。そんな貴公だからこそ私は…いや、何でもない…」
「何でも無くないから俺を避けていたんだろう?」
「さ、避けてなどいない!」
「じゃあ、俺の話を聞いてくれるね?」
「それは…!」
「グリシーヌ」
そうグリシーヌを見つめるとグリシーヌは一つ息をつくと小さく頷いた。
「…俺はね、グリシーヌ。君と一緒に巴里に帰るつもりだ」
「!」
俺のその言葉に俯いていた顔をパッと上げるグリシーヌ。
そんなグリシーヌの目を見つめて続ける。
「勿論、総司令としての責任を放棄する気はない。その責務は全うしたいと思っている」
「ならば何故だ!?総司令としての責務を全うする気でいると言うのであれば、トーキョーに留まるのが最善であろう?!」
貴公がここに留まってこそ帝国華撃団は悪への脅威となるのだ、とグリシーヌ。
「やっとグリシーヌらしい答えが聞けた」
ようやく聞けたグリシーヌ節に思わずフッと笑った俺にグリシーヌが語調を強くする。
「なっ…からかったのか?!」
「いや、本気だ。俺は君と一緒に巴里に帰るよ」
「貴公は総司令なのだぞ?!」
「ああ。解ってる。でもね、さっきも言ったけど平和を守るのに場所は関係ない。君たちが巴里から来てくれたように、俺も帝都に異変が起ころうものなら急行するつもりだ。だから、せめてその間の平和な時間はシャノワールで…グリシーヌと一緒に過ごしたいんだよ」
君と出逢えたあの街でまた一緒に。
そして、今度こそ12の月を君とともに。
「隊長…」
「だから、グリシーヌの気持ちを聞かせて欲しい」
「…解らぬ…。このトーキョーの守りの要である貴公をこの場から離すようなことがあって良いのか。トーキョーの平和と私の我が儘を秤にかけることは許されぬと思う…」
いつになく慎重にグリシーヌが答える。
平和と我が儘を秤にかける、か…。
確かに許されないのかもしれない。
だが、俺は…。
「…勝負をしよう、グリシーヌ」
「勝負?」
勝負と聞いてグリシーヌの表情が険しくなる。
「ああ。…俺のグリシーヌを想う気持ちが上なのか、それとも君の気持ちの方が上なのか」
「貴公は…狡いな。勝負などと言われては私は引き下がれなくなってしまうではないか」
ため息混じりに半ば呆れたような顔でグリシーヌが言う。
「君を離したくないからさ。二つを秤にかけるのではなく、どちらも取ればいい。俺たちならそれが出来ると思う。どうだい?」
平和も君も秤にかけることなど出来ない。
だが、どちらかではなく両方取ることは出来るんだよ、グリシーヌ。
「フ…フフッ…。欲張りだな、貴公は。そうか…、どちらもか」
ようやく笑みを見せてグリシーヌが俺を見つめる。
「ああ。どちらもだ」
「フッ…その勝負受けて立とう」
先ほどまでの物憂げな表情とは一転して、憑き物が晴れたようにいつもの凛とした表情に変わってグリシーヌが言った。
うん、その方がグリシーヌらしい。
「ああ、勝負だ。今は俺の方が優勢だけどね」
「何だと?!私だって…!…いや、その…」
「君だって負けてはいないって?」
「も、勿論だ!」
「それでも俺の方が優勢だと思うよ?君を離すまいと必死な分ね」
「…よく言う」
俺の言葉にフッと笑ってグリシーヌが言う。
「だから、この勝負の続きは巴里でしよう」
「仕方あるまい」
「長い勝負になりそうだけどね」
「貴公から申し立てたことなのだぞ?」
「…だからさ。俺も君も降参なんて絶対しないだろ?」
「フフッ、その通りだ」
そう笑ったグリシーヌの手を取ってその手に軽く口付ける。
「巴里までお供させてくれるかい?お姫様」
「うむ。貴公ならば許そう…」
そう言うと、グリシーヌは俺の肩に寄りかかった。
ああ、これから長い勝負をしよう、グリシーヌ。
決着なんかきっとつかないけれど。
それでも。
俺も君も負ける気はないから、手を抜くなんて事は考えないんだろう。
それが俺たちだから。
だからこそ、想いは色褪せるどころか強くなっていくことだろう。
君と同じ所に立って。
君と肩を並べながら。
君と二人で在る。
…──俺たちの愛する巴里の灯りの下で。