短くも苦しかった戦いを終えて、帝都は平和を取り戻した。
それは束の間の平安かもしれない。
だが、俺は親友の言葉に後押しされたこともあって、かの愛すべき第二の故郷──巴里へと帰ることを決めた。
親友の言葉通り、すっかり愛してやまないあの場所で何よりも愛してやまない彼女とともにこの平和な時間を楽しみたいと思ったのだ。
…そして。
俺は帰って来た。
テアトル・シャノワールに。
「何してるんですか?大神さん。早く入りますよ!」
エリカくんの言葉にハッとなって慌てて返事をする。
「あ、ああ。そうだね。」
皆のあとに続きながら、ポーチを通ってロビーへと抜ける。
開店直後の華やいだ雰囲気。
『ああ…。懐かしいな…。』と思う。
「ようこそ!シャノワールへ!…って大神さん?!」
ロビーに入ったところでシーくんの元気な声が顔が飛び込んでくる。
「…どう…なされたんですか…?」
そして、彼女の驚いた声も顔も。
「はは、帝劇を追い出されちゃってね。またシャノワールで雇ってくれないか?」
冗談交じりにそう言うと彼女は直ぐに笑って言った。
「…はい!シャノワールはいつでも人手不足です!」
「うわぁ!オーナーを呼んで来ますぅ。きっと大喜びですよぅ。先に客席で待っていて下さいねぇ!」
シーくんが嬉しそうに支配人室へと小走りで向かっていった。
「では、客席へご案内しましょうか」
シーくんが支配人室へ向かったのを見届けるとメルくんは皆を1階客席へと勧めた。
俺は先頭を歩くメルくんの隣を歩きながら、小声で話し掛けた。
「…メルくん、会いたかったよ」
キネマトロン越しだけでも君と話せたことは大きかったけど、それは返って君に会いたいという気持ちを募らせたから。
「は、はい」
メルくんはどんな表情をしていいか解らないのか俯き加減に頷いた。
そんなところが変わらなくて何だか嬉しくなった。
シャノワールに帰って来たからにはレビュウに出たいと言うエリカくんたちの1ヶ月ぶりのステージを客席でグラン・マと一緒に観ながら、何度も巴里に帰って来たんだということを噛みしめる。
「ねぇ、ムッシュ」
レビュウが一段落したところでグラン・マに話し掛けられた。
「はい」
「ひとつ聞いてもいいかい?」
「はい」
「ムッシュはムッシュ・ヨネダの後を継いで帝国華撃団の総司令になったんだろ?本来ならばトーキョーを離れるべきじゃない人物ってことだ。そのムッシュがあえてこのシャノワールに帰って来た理由を聞かせておくれ」
ワインのグラスを傾けながら、神妙な顔でグラン・マが言った。
「…はい。俺は今回の戦いで改めて平和を守るのに場所なんて関係ないって思ったんです。大事なのは都市を、街を愛する心だとみんなに改めて教えられました。巴里のみんなが帝都に来てくれたように帝都のみんなが巴里に来てくれたように、俺も帝都に何かあったら駆けつけるつもりです。…でも、その前に俺自身の気持ちに正直にいようって決めたんです。俺はメルくんと生きていきたいと思いました。だから、巴里に帰ろうって思いました。それじゃ理由になりませんか?」
俺の言葉をじっと聞いていたグラン・マがフッと笑って、ギャルソンに俺のグラスにワインを注ぎ足させた。
「…十分だよ。ムッシュはまた大きくなったねぇ。あたしの目が届かない所に行っちまったから心配してたんだけど、どうやらそんな必要はなかったみたいだね。ああ、ムッシュは本当にいい男になったよ。まぁ、あの人にはまだまだ遠いけどね。…また少し近付いたね」
そう笑ったグラン・マの言葉が嬉しい反面、何だか勿体なくて俺はどう答えていいか解らずにワインに口をつける振りをした。
そんな俺の行動を見てグラン・マがまた笑う。
「何だい。そこでスマートに返せないのも相変わらずかい?やっぱり、ムッシュはムッシュだねぇ。ここを出て行った時のままだ」
「は、はぁ…」
「ムッシュ。あの子を泣かせたりしたらこのあたしが承知しないよ。しっかりあの子を守ってやっておくれね。」
「はい!」
俺の返事を聞くとグラン・マは満足そうに頷いて自分もワインに口をつけた。
閉店後、皆の1ヶ月ぶりのステージ復帰を祝って1階客席で簡単なパーティと相成った。
先の戦いでの功を労うという意味も含めているんだろう。
パーティは迫水大使やジャン班長を始めする整備班等々の内情を知る者たちだけで行われた。
俺は久々に会った所為かみんなに揉みくちゃにされて参ったけど、みんなが俺を当たり前みたいに迎えてくれたのが嬉しかった。
だが、楽しい時間はあっという間に過ぎる。
「今日のところはお開きにしようかねぇ」
グラン・マのその一言でパーティは終了し、みんな自分の部屋や家へと帰って行った。
時計を見ると確かに結構いい時間だ。
メルくんとシーくんはパーティの後片付けをする為かまだ忙しそうに動いている。
「俺も手伝うよ」
上着を脱いでそれを椅子の背もたれに掛け、シャツの袖を捲る。
「ヒューヒュー!やっぱ大神さん、優しいですねぇ。助かりますぅ」
シーくんが嬉しそうに言った。
「え?でも大神さんも今日着いたばかりでお疲れじゃないですか?」
メルくんが心配そうに言った。
「大丈夫だよ。これ位でバテるほどヤワな鍛え方はしてないさ。それに人数が多い方が早く終わるだろ?」
「でも…」
「もう、メルは~!大神さん、手伝ってくれるって言ってるんだから素直に『お願いします』って言えばいいんだよう。相変わらずなんだからぁ」
「そ、そう?じゃ、じゃあ、お願いしてよろしいですか?」
シーくんにそう言われて、困ったような何とも言えない表情でメルくんが言った。
「ああ。勿論」
その後、3人で手際よく仕事が回った所為か片付けは意外に時間を短縮して終わった。
「大神さんもシーもお疲れ様でした。思ったより早く終わりました」
「さっすが、大神さん。こういった仕事には慣れてますねぇ」
「はは。そうかい?」
「……あ!そうだ!あたし、更衣室に忘れ物したんでした!メル、先に外で待ってて!」
シーくんはそう言うとメルくんに何か耳打ちをして駆けていった。
メルくんは何を言われたのか顔を赤くして俯いた。
「シーくん、何だって?」
「いえ…その…、」
「あ、言い辛いようだったらいいよ?」
「…あの…自分はちょっと席を外すから大神さんとお話しなさいって…」
顔を耳まで赤くしてメルくんが言った。
「はは。シーくんらしいね」
「はい…」
「じゃあ…、シーくんのお言葉に甘えて外でちょっと話そうか」
「は、はい…」
ロビーを抜けてポーチまで出ると心地良い風が吹き抜けて来る。
「…やっと、ゆっくり話せる」
そう言ってメルくんの方に向き直ると、メルくんはやっぱり照れ隠しなのか俯いていた。
「何をそんなに緊張しているんだい?」
「いえ、違うんです。その…、大神さんとお会いするのがお久し振りなので正直信じられないんです。今、私の前にいる大神さんが本物なのかどうか」
「確かめてみるかい?」
「え?」
俺はそう言うとメルくんを抱き締めた。
「どう?夢だと思う?」
「い、いえ…」
そう言って戸惑うメルくんの顔を見るとメルくんは何か言いたそうに俺の目を見た。
「?何だい?」
「……大神さんは帝国華撃団の総司令になられたとオーナーから聞きました。
ですから、もうこちらにはいらっしゃらないって思ってたんです」
「でも、俺は巴里に帰って来た」
「はい…」
「どうしてだと思う?」
そうメルくんに問い掛ける。
「…え?」
「メルくんは…俺が帝都に帰る前に言った言葉を覚えてるかい?」
「はい…」
「俺はメルくんが好きだと。そう言ったよね」
「はい…」
俺の言葉にメルくんは赤面して頷いた。
「だから、俺は帰って来たんだ」
「大神さん…」
「いつでも君を支えられる存在で在りたいんだ。そうじゃないとメルくんは独りで頑張ってしまうからね。…だから、俺に君を支えさせて欲しい」
いつでも君のそばにいて、いつでも君を支えられればいい。
そう思ったんだ。
「そんな…。…大神さんは私には勿体ない位の方です。だから、本当はあの時…大神さんがトーキョーに帰るって解った時に諦めようと思ったんです。…でも、大神さんは私を好きだと言って下さいました。それで、私は十分だったんです。トーキョーに行ってしまって例え…、もうこちらに帰って来ることがなくても…。大神さんのおかげで嫌いだった自分を好きになろうかなって思えたから…」
「メルくん…。」
「そんな大神さんにそんなこと言われてしまったら…私はどうすればいいんですか?」
いつも冷静なメルくんからは想像がつかないような、今にも泣きそうな表情でメルくんが言った。
「…君はどうしたいんだい?」
「私は……大神さんのおそばにいたいです…」
「君を支える相手が俺でいいってことかい?」
「……しばらくお会いしないうちに大神さん少し意地悪になったんじゃないですか?」
メルくんが言った。
しかし、その顔は少しも怒っていない。
「そうかな?」
「そうじゃないですか」
「そうか」
「はい…。……大神さん、私のそばにいて下さい。」
控えめに俺の手を取ってメルくんが言った。
「ああ、勿論」
俺はそう頷いてメルくんの手を握り返した。
「はぁ…。大神さんには敵いませんね…」
いつもの困ったような照れたような表情でメルくんが言う。
「俺はメルくんを好き過ぎて、巴里に帰って来た男だからね」
「あの…大神さん……」
「ん?」
「……embrasse moi….」
「oui….」
小声でそう言ったメルくんに引き寄せられるように俺は顔を近付けた。
─────そして、俺の新しくも当たり前の生活が始まる。
*注
embrasse moi(アンブラッセ・モア)
「抱き締めて下さい」とも「キスして下さい」とも。
どちらと取るかは大神さん次第(笑