用を終えて秘書室へと戻る途中、売店で大神とシーが楽しげに話しているのがふと目に留まって、メルは思わず足を止めた。
メルの目からすれば恋人と親友が話しているに過ぎない。だが、何も知らない人が見れば大神とシーが恋人同士だと思うかもしれない。
それだけ、仲睦まじい様子が自然で微笑ましく見える。シーの屈託の無い明るさと甘い笑顔は誰をも虜にするだろう。自分だったら、こんな風にはいかない。大神もどうしてシーではなく、自分なのだろうと思う。
思わず、ため息が漏れてメルは苦笑した。そんな風に思いながらも、大神の笑顔を自分だけに向けて欲しいと何処かで思っている自分がいるからだ。
「…欲張りね、私は」
そう独り言ちると、メルは秘書室へと再び歩を進めた。
「─大神さんが声を掛けないから、メル戻っちゃったじゃないですかぁ」
メルがその場を立ち去った事に気付いたシーが大神を非難する様に言う。
「いや、声を掛けてくれると思ってたんだよ」
そう苦笑しながら答える大神。
メルが立ち止まって、自分たちを見ていた事には気付いていた。でも、目の端に映っていたメルは声を掛けるどころかただ見つめるばかりで、ため息を吐いた後にその場を立ち去ってしまったのだ。
「どうしてため息だったんだろう?」
「え?ため息吐いてたんですか?メル」
「ああ」
頷いた大神に今度はシーがため息を吐く。
「もう鈍いですねぇ、大神さんは。メルの事だから、良くない事考えちゃってるかもですよぅ」
「良くない事?」
「どうして、大神さんはメルを選んだのかとか」
「何でそうなるんだい?」
「あたしと大神さんが笑って話してたからですかねぇ。大神さんが楽しそうに見えたとか」
シーの指摘に妙に納得すると大神は眉をハの字にして言った。
「どうもメルくんはそこに自信をもってくれないんだよなぁ」
俺はメルくんが好きだと言い続けてるのにと苦笑する。
「大神さんがふらふらしてるからじゃないですかぁ?誰にでも優しいしぃ。」
「いいっ?!普通だと思うよ?ふらふらはしてないよ…」
肩を落とす大神を急かす様にシーが言う。
「とにかく!早くフォローして来て下さい。メルが可哀相ですぅ!」
シーの言葉に大神は慌てて秘書室に向かったのだった。
秘書室で作業に戻りながらも表情の冴えないメル。どうして、自分はつまらない事ばかり考えてしまうのだろうと思う。出るのはため息ばかりだ。
─と、ドアをノックする音がして、思い掛けない声がドアの向こうからしてくる。
『メルくん、大神だけど入っても良いかな?』
その声に慌てて返事をするメル。
「は、はい。どうぞ」
「お邪魔するよ」
そう言って部屋に入って来た大神の顔は何故だかとても焦っている様に見える。
「ど、どうされたんですか?」
「いや、メルくんにどうしても言いたい事があってね」
「はい」
わざわざ訪ねて来てまで何の話なのだろうと不安を覚えるメル。それが表情となって出ているのか、大神はそんなメルのそばまで歩み寄ると両肩に手を置いて言った。
「俺はメルくんが好きだよ」
来るなりそんな事を言い出す大神にメルの顔が困惑と恥ずかしさで紅く染まる。
「どうされたんですか?!突然」
「今言わなきゃいけない気がしてね。俺は君が好きだ」
赤面するメルの頬に手を添えて大神が更に言う。
「大神さんっ、勤務中ですよ?!」
「じゃあ、今から少し休憩にしよう」
どうにも退いてくれそうにない大神に諦めた様にメルが頷く。
「…分かりました」
「ありがとう」
「それで、あの…」
「メルくんは俺を好き?」
今度はそんな質問でますますメルの体温が上がる。大神は一体何を言いたいのだろうと思う。
「…大神さんは何を仰りたいんですか?」
思わず口に出してしまって、ハッと口を押さえる。語調が強過ぎたかもしれないと思ったからだ。
「す、すみません」
「いや。気にしなくて良い。…俺はさ、メルくんにもっと我が儘を言って欲しいって思うんだ」
そう微笑んでメルを見つめる大神。
「…我が儘言ってると思いますよ?」
大神の言葉にそんな事はないと言わんばかりにメルが返す。
「まだ足りないよ。もっと言って欲しい。もっと俺を振り回したって構わない」
「そんな事言われても…」
どうして良いか分からないというのがメルの正直な気持ちだった。そもそも、何を我が儘だと言うのかさえよく判らなくなってくる。
「困る?」
「はい…」
「でも、俺も困るんだ」
「そ、それは逆だと思います。大神さんが私を困らせて喜んでいるんじゃないんですか」
「喜んではいないけど、可愛いとは思ってるよ」
「ほら、またそうやって…」
からかうんじゃないですかと言おうとしたメルの唇を大神が掠め取る様に奪う。秘書室という場所柄、声にならない声を上げた後、非難の表情で大神を見るメル。
「ごめん。でも、からかいたくなるのはメルくんだけだよ。そうやって振り回して、君が一喜一憂するのを見て優越感に浸るんだ」
「優越感?」
「俺がメルくんにこの顔をさせたんだってね」
嬉しそうに笑った大神に見とれながら、独り言ちる様にメルが呟く。
「…でも、それって笑顔だけじゃないじゃないですか…」
「うん。曇らせてしまったり、泣かせてしまう事も勿論あるよね」
「…それでも、そういう風に思えるんですか?」
「反省もする。でも、それを笑顔に変えられるのも自分しかいないって思う事にしてるんだ。相当、勝手で我が儘な考えだけど」
それでも俺が君を一番好きなんだって事を君に解って欲しくてねと半ばメルに言い聞かせる様に大神が言う。
「…私も…そういう風に思いたいです…」
大神の言葉を神妙な顔つきで聞いていたメルがポツリと言った。
「うん。もっと俺を振り回してよ。…先ずは何をして欲しい?」
そんなメルを優しい表情で見つめると静かにそう問う大神。
「…さっき、シーと楽しそうにお話ししている大神さんをお見かけしました」
「…うん」
「その時に…シーに向けられている大神さんの笑顔が…自分だけのものになれば良いのにって…そう思ったんです…」
消え入る様な声でそう言ってから。
メルは顔を隠す様に大神の胸に顔を埋めた。
そんなメルの髪を撫でながら大神が言う。
「ありがとう。そんな風に思ってくれてたんだね」
「…欲張り過ぎますよね…」
「それくらいの方が俺は嬉しいよ。メルくんにはもっと欲張りになって欲しい。俺を振り回せるのはメルくんだけだからね」
そう微笑んで言った大神に、苦笑しつつも嬉しさを滲ませながらメルが返す。
「…そんなに私を甘やかしてよろしいんですか?」
「メルくんを甘やかしたいのも、俺の我が儘だからね」
「我が儘…、言える様に頑張ってみます」
「うん。期待してるよ」
笑顔で頷いた大神にようやくメルの顔も晴れて自然な笑顔が零れる。どうやら、先程まで感じていたジレンマも何処かへ消えてしまった様だ。
そんなメルに何かを思い出した様に大神が言う。
「で、我が儘ついでにさっきの質問の答え聞いても良いかな?」
「さっきの質問?」
「うん。メルくんは俺が好き?」
「それを今聞くんですか?!」
この話の流れで?信じられないですとため息を吐くメル。
「それが俺の」
「我が儘だからですか」
「そうそう」
メルの目から見ても大神の口の端が緩んでいるのは明らかでどう考えてもからかって喜んでいるようにしか見えない。それでも、強く言えないのは惚れた弱みという他を置いてない。
「仕方ない大神さんですね。…私は大神さんを好きです。大神さんもご存知だと思いますが」
言ってから、一気に頬を赤く染めるメル。
やっぱりまだまだこういう言い方に慣れない。
「ああ、勿論知ってるよ。でも、俺がメルくんを誰よりも好きだって事も知ってるよね?」
「…知ってます」
照れながらもメルが頷いて、自然とキスをかわす。
とある日の大神とメルの間の出来事。
(fin)
えどさくら8で出したコピー本「巴里推し」より。