犬小屋の杜一さんとのリレーSSです。
ある晴れた日の事。部屋の空気を入れ替えようと窓を開けると、暖かな風が柔らかく頬を撫でる季節になった。
風と共に運ばれた草花の匂いに口角が上がり心が弾んでくる。こんな日は外に出かけたいーそう思ってカレンダーを再確認すると、幸いな事に今日は休暇日である。
一人で出かけようか、それとも誰かを誘ってみようか。ああ、花火かエリカなら誘いに応じてくれるかもしれない。
「確かシャノワールに居たな」
身支度を済ませて屋敷を出る。空は青く澄んでいて絶好の散歩日和である。
市場を覗きがてらシャノワールの前まで辿り着くと、丁度ロベリアがドアを開けて出てきた所だった。
「…げ」
その僅かに聞こえた声を聞き逃す事は出来ず、いつものようにつかつかと歩み寄り詰め寄った。
「私と会った事がそんなに不服か?」
「アンタはいつもタイミングが悪いんだよ…ったく」
明らかに不機嫌そうな態度に苛立ちを感じ、その胸元を掴んで薄灰の瞳を睨みつけた。
「私がそなたに何かをしたかっ!?答えろ!」
「ッチ」
ロベリアは小さく舌打ちをすると胸元を掴んでいた手を握り返し、そのまま歩き出した。
「店の前で騒ぐな、客に見られたらどうする」
「なっ…」
頬に熱が集まる。言われた事への恥ずかしさもあったが、どうしてそれをよりにもよってロベリアに言われなければいけないのだろうか。
「は、離せ!!」
雑踏を抜けながら声を掛けても一向に手を離してくれず、そのまま歩き続けると一件の古いアパートの前で足を止めた。
「ここでいいか」
そうロベリアは一人言ちると、軋む音を立てて扉を開けた。
ーさて、どうするか。
最初に扉を開けた時、目の前にグリシーヌがいた事に思考が停止しかけた。
シャノワールの中ではこの目の前の少女の為の祝の席が設けられている最中なのだ。
他のメンバーでそれを行なっているというのに、どうしてこう自分の事となると途端に鈍臭くなるのだろうか。
そして最初に発してしまった言葉で頭に血を上らせてしまったらしい。兎にも角にも面倒だ。
早々にこの場を離れて落ち着かせなければいけない。
サボろうとあの場を離れたのはある意味運が良かったというか何と言うか。
心の中で溜息をつきながらアタシはシャノワールから離れた。
後でコクリコや花火から苦言を言われそうだが、これなら正当な理由としてサボりを見逃してくれるだろう。
雑踏を抜けながらそんな事を考えていると、昨晩バーで聞いた廃アパートの話を思い出した。
『すぐにカップル達の逢引場所になるぜ』
そんな事を言っていた気がする。
場所の話もしていたので大体の位置は分かる。とりあえずグリシーヌを落ち着かせて屋敷に戻らせよう。
程なくしてそのアパートも見つかり、年季を感じる扉を開けると中は思っていたよりも荒れていなかった。
グリシーヌの手を掴んだまま二階へと上がり、廊下の一番奥の部屋の扉を開けた。多少の埃臭さはあるが我慢できない程ではない。
ここでやっとグリシーヌの手を離し、扉を閉めて顔を見ると案の定不機嫌を全開に出して睨みつけられた。
「どういう事だ!このような所まで連れてきて」
「オマエが店の前でギャーギャー騒ぐからだろう。ここならいくら騒いでも構わないぜ」
「誰がギャーギャーと騒いだのだ!」
青い瞳が真っ直ぐと睨みつけてくる。普通ならこれで尻込みをするのだろうが、生憎この程度では怯みもしない。寧ろ可愛いくらいだ。
「ああ、ギャーギャーじゃなかったかもな。ニャーニャーか?」
「ニャーなどと誰が言うかっ!」
頬を赤く染めて咬みついてくる。少しからかうとこれだから本当に遊んでいて飽きがこない。
「で、何でシャノワールに来たんだ?」
「話をすり替えるな!」
「すり替えてないだろ。アンタがシャノワールに来た理由だ」
「天気が良かったから、花火かエリカを誘って出掛けようと思ったのだ」
「よーく考えてみろ、明日は何の日だ?」
「私の誕生日パーティーならば週末に…!」
そこでハッとするとバツが悪そうな表情をした。やっと自分の行動の愚かさに気付いたらしい。
「良かったじゃないか、アイツ等の努力を無駄にしないで済んで」
「ああ…失念していた。だから連れ出してくれたのだな。…礼を言う」
意気消沈とはこの事だろう。すっかり大人しくなってしまった。
折角の機会だ、もう少し遊んでみようか。
「…礼、ねぇ。アタシに手間を掛けさせたんだから高く付くぜ?」
鼻で笑った後にそう言ってみせるとグリシーヌが怪訝そうな顔でアタシを見た。
「…何を狙っている。ワインか?それとも宝石か?」
そうだと頷いたら斧を振り下ろされかねない険しい表情だ。
本当に思った通りの返事をしてくれるヤツだよ。嬉しくなるね。
「…フン。それもいいねぇ。だが、そのどっちでもない」
「ほぅ…ならば、何だ」
先程までの殊勝さはどこへ消えたのかすっかり不機嫌そうなグリシーヌ。
だからこそ、からかい甲斐があるというものだ。
「アンタを一晩自由にする権利で手を打とうじゃないか」
「!…なっ…」
アタシのその言葉を予想だにしていなかったのかグリシーヌの顔が忽ちに紅く染まる。
「顔が紅いぜ?ウィって事か?」
「そ、そなたが馬鹿な事を言い出すから呆れて居るのだ…っ」
眉をひそめ語調を強くしたところで顔は紅いままで明らかに動揺しているのだから、全く迫力も威厳もない。
グリシーヌに顔を近付けてニヤと笑ってやる。
「そう言う割には満更でもなさそうじゃないか」
アタシのその指摘に更に顔を紅くしてアタシを睨み付けてくる。
「わっ、私がいいいいいつその様な顔をしたと?!」
「…してるだろう?今も」
目を細めて顔を覗き込むと、居たたまれなさそうに顔を背けてポツリとグリシーヌが言った。
「……ても……ではないか…」
「?何だよ」
「何でもないっ…」
「ボソボソ言ったって聞こえないだろうが。言えよ」
何かを呟いて拗ねた様子のグリシーヌの顔を自分の方に向かせる。
「聞こえなかったのならば良い…っ」
「それで『ああ、そうですか』ってアタシが引き下がると思ってるのかい?」
「くっ…」
「こんな礼なんて口実をつけなくても、いつもアンタを抱いてるじゃないかって事か?」
アタシがそう言うと目を見開いて非難する様な目でアタシを見つめて来た。
「!やはり聞こえていたのだな?!」
「いいや?ただのアタシの想像さ。でも、当たってたみたいだけどね」
「!」
「くくっ…本当にアンタは解りやすいよ」
「馬鹿にしているのであろう?!」
悔しそうに首を振るグリシーヌの肩を抱いて自分の方に引き寄せ、抱き締める。
「馬鹿にはしてないぜ?解りやすくて良いんじゃないか?」
「それが馬鹿にしていると…んぅ…っ!?」
グリシーヌの口を塞ぐ様に唇を深く重ねると、それに応える様にそっと舌を絡めてきた。
アタシの背中に回された手にもぎゅっと力が入って指先の力が伝わってくる。
本当ならここでからかいたいところをぐっと堪える。
これ以上からかうとへそを曲げて面倒くさくなるからだ。
唇を舐めてから体を離すと囁く様にグリシーヌに言ってやる。
「…馬鹿にはしてない。どうして下らない口実が必要なんだか考えてみろよ。アタシがいつの夜のアンタの時間を欲しいのか」
これならば、流石に鈍いコイツでも判っただろう。
今度は耳まで紅くなって、それを隠す為かアタシの肩に顔を埋めた。
「判ったのか?」
コクリと小さく頷くグリシーヌ。
「………もの」
「あん?」
「…こんな…回りくどい事をしなくても…18日は初めからそなたと過ごすつもりだったのだ…馬鹿者…」
耳を近付けないと聞こえにくい程の小声でグリシーヌが言った。
ったく、本当にコイツときたら!
「どうせアタシは馬鹿なヤツだよ。…アンタの事になると馬鹿になっちまう」
「…拗ねているのか?」
「悪いかよ?」
「いや…意外で…ふふっ、そなたでも拗ねるのか」
「ッチ、勝手に笑っておけよ」
妙に嬉しそうに笑うグリシーヌの唇にキスをした後、扉を開けグリシーヌに言う。
「当分はシャノワールに行かないこったな」
「ああ、分かって居る」
「明日の夜を楽しみにしてろよ」
「…分かって居る」
「寝かしてやらないぜ?」
「!も、もう良いから早く行かんかっ!」
グリシーヌの照れ隠しの怒号を背に、アタシは先に部屋を出た。
明日の事を考えて浮き足立っている自分に苦笑しながら。