憂鬱なのは雨のせいだ。
曇った空に、更に覆い被さる夜の闇。
何もかもが鬱陶しくて、心がざわついて止むことがない。
そんなことを思いながら、グリシーヌは一人、人気の減った路地裏を歩いていた。
「・・・・・・・つまらない、な」
パールの彩りが散りばめられたピンクのルージュに覆われた唇から、小さな声が漏れる。
彼女のトレードカラーとも言えるブルーのドレスも、今や雨に濡れて輝きを曇らせたままだ。
「何故だろうな・・・」
ここ数日、いや、もしかしたら以前からずっと続いていたような気もする、悶々とした日々。
そしてそんな日々を覆したくて、行動を起こした今夜。
気晴らしになるかと、貴族としての付き合いに含まれる夜会に行っては見たが、結局曇った気持ちは晴れることがなかった。
華やかであるはずのパーティーは騒々しい場にしか思えず、幾度となく誘われたダンスも只物悲しさだけが募る時間だった事を思い出し、グリシーヌは軽く身を震わせる。
すると、そんな彼女の背後から聞き慣れた声が響いた。
「おい、何やってんだ?」
美しい青い瞳を陰らせながら振り向いたグリシーヌの前に、陶器のような白い肌を持った美女が近づいていく。
「ロベリア・・・・・・・・」
心細そうなその声に、名を呼ばれた主は一瞬だけ目を見開き、只それだけのことなのに「はいはい、わかったよ」とグリシーヌの濡れた頬に触れた。
「・・・何がわかったというのだ?」
「わかるさ」
「そんな言い方をされたら・・・わたくしのほうがわからない」
「別にいいさ、それでも」
ロベリアの柔らかな声に、グリシーヌの睫が細やかに揺れる。
それが合図だったとでも言うように、ロベリアは「来な」とグリシーヌの手を引くと、そのまま更に路地裏へと足を進めていった。
「ちょっと待て!・・・どこに・・・」
「そんなのわかりきってるだろう?」
呆れたようなロベリアの返しにグリシーヌが反論しないのは、これが初めてではないからだ。
言葉に詰まり、戸惑ったように視線を落とし、でも握られた手は離さない。
そんな「生まれながらの貴族」の姿に、ロベリアが心動かされてから、もう数ヶ月になる。
「泣きたいときはアタシのところに来ればいいさ」
いつしか暗黙の了解となったそのルール。
あれほど高潔なグリシーヌがどうしてそれに従うのか、その理由が痛いほどわかるから、ロベリアは今夜も彼女を自室に招き入れ、着替えさせて毛布を掛けた。
「・・・・すまない」
「今更かよ」
ベッドに並んで腰をかければ、ロベリアが楽しそうに笑う。
こんな風になったきっかけは些細なことだったけれど、初めてグリシーヌに甘えられた時、ロベリアはこれを拒まなかったし、むしろそれを待っていた自分に気付いた。
帝都だけでなく、巴里でも皆の支えになった彼がいなくなったあの日から、グリシーヌは何かを失っていたのだろう。
そしてそれは彼女だけの事ではなく、巴里花組それぞれに降りかかった出来事だったはずだ。
失って得た悲しみと、寂しさ。
反して、彼を失ったからこそ見つけることが出来た、今ここにいる自分達の関係。
彼を日本に見送ってから経た年月で、ロベリアとグリシーヌの関係も変わったのだ。
反発しあいながらも、徐々に互いの心の砦を壊し合い、そして今は・・・・
「ロベ・・・リア・・・」
ランプの明かりが落とされ、二人の肌の影が部屋に映る中、「アンタはアタシの名前だけ呼べばいいのさ」とロベリアは微笑む。
「そなた・・・は・・・」
「・・・ん?」
「やさしい・・・・の・・・・だな・・・」
「・・・ったく、バカが・・・・」
今夜初めて顔を歪めたロベリアに、グリシーヌは泣きながら笑い、更なる温もりを求めて精一杯両手を伸ばした。
「・・・・アタシの本気をなめるなよ?」
「ふふ・・・楽しみなことだな」
笑い合い、喧嘩もするけど、新しい温もりと愛に出会ったグリシーヌの心に宿るのは、新たな光。
巴里のある夜、雨の日の物語。
激しい雨音を聞きながら、グリシーヌはもう一度ロベリアの名を呼んだ。
終。