「マリア、誕生日おめでとう」
大神はそう言うとテーブルを挟んで正面にいるマリアにカップを掲げた。
「ありがとうございます」
マリアも笑顔でカップを掲げる。
本日はマリアの24才の誕生日。
二人きりでしっとりと豪勢なディナー、と思いきや二人のテーブルの上に並べられているのはカップが二つ。
大神の前にはコーヒーが、マリアの前には紅茶が置かれている。
それに今はランチというには遅く、ディナーにはまだ早い時間でいわゆるティータイムというに相応しい時間だ。
「本当はワイングラスを片手にお祝いしたかったんだけどね」
手にしたカップをテーブルに置くと大神が言った。
「あら、隊長。まだ外は明るいですよ?」
からかうようにそう言ったマリアに微笑を見せて大神が返す。
「君がそう言うだろうと思ってね」
「ふふっ、そうなんですか?」
「まぁね。それに今夜はみんなでマリアの誕生日パーティーをするって言ってたから、とてもマリアを独り占めするなんて出来なかったよ」
冗談っぽくそう言った後で急に真面目な顔になって大神が言った。
「…ようやく、願いが叶ったよ」
その表情に一瞬見とれそうになりながらマリアが聞く。
「願い、ですか?」
「ああ。マリアの誕生日をちゃんと祝いたいっていうね」
「でも、今までだって隊長はちゃんとお祝いして下さっていたじゃないですか」
大神のその言葉に不思議そうな顔でマリアが言う。
実際、大神がマリアの誕生日を忘れたことはないからだ。
「うん。でもさ、こういう風にその日に二人で…っていうのはなかっただろ?」
そう言われて思い返してみると、確かにこんな風にゆっくり二人でというのは初めてかもしれない。
「そういえばそうかもしれませんね」
「ああ。五年前…君と出会ったばかりの頃は隊長として着任してきたばかりで、ようやく仕事に慣れてきた時だったし、例の築地の一件もあってお祝いなんて雰囲気ではなかっただろ。誕生日だった、なんて後から聞いた位だったし。それで来年こそはって思っていたら、海軍に復帰することが決まって帝劇を離れることになってしまった。そして、洋上演習から1年振りに帰国したら帝撃に復帰することになって。戻って来たら、今度はマリアが紐育に行っていたよね」
「はい。その次の年…去年は隊長が巴里においででしたね」
「ああ」
頭の中で反芻しながら本当にいろいろあったなぁと思う。
しかし、その全てが懐かしく思えるのはそれらを乗り越えたからこそ、今の自分たちがあるからかもしれない。
「だからさ、今年はようやく願いが叶ったんだよ」
「隊長…」
「マリア、誕生日おめでとう」
改めてマリアの目を見つめながら大神が言う。
「…ありがとうございます」
「俺の方こそ、ありがとう」
「…え?」
「マリアが生まれてきてくれて生きていてくれたからこそ、俺は今こうして幸せだからさ」
君の誕生日にずっとそれが言いたかったんだよ、と大神。
思いがけない大神の言葉に思わず俯くマリア。
そうしないと今にも涙が溢れ出そうだったからだ。
…幾度となく死ぬことを考えた。
死ぬことなど怖くないと思っていた。
何度自分を無価値な人間だと思ったか判らない。
いや、自分だけではない。
すべてのものが無価値に思えた。
そんな中であやめに出会い、生きていく理由を与えられた。
大神に出逢い、生きている喜びを知った。
感謝すべきは自分の方なのに。
頬を伝う涙を手で拭いながらマリアが言った。
「…私も…生きていてよかったです…。生きていたからこそ…あなたに…出逢えました…」
「マリア…」
「…すみません…。みっともないところをお見せしてしまって…」
苦笑しながらそう言ったマリアを見つめる大神。
「……少し悔しいな」
マリアの涙を自分の指で拭い取りながら大神が言う。
「ここに誰もいなければ君を抱きしめるのに」
真面目な顔でそう言った大神に思わず噴き出すマリア。
「そうそう。笑った方がいいよ。折角の誕生日なんだからさ」
悪戯っぽく笑ってそう返す大神。
その笑顔にマリアからも自然と笑みが零れる。
「ふふっ、そうですね」
「ああ。それにね、」
急に小声になった大神に合わせて、耳を傾けるマリア。
「俺は花組のトップスタアを泣かせている不届き者になってるみたいだしね」
大神に言われて周りを見てみると、自分たちはいつの間にか注目の的となっていたようだ。
大神に向けられている視線も何だか冷たい気がする。
「す、すみません。私の所為ですね」
慌てて謝るマリア。
「はは。これ位どうってことないよ。その代わり、舞台以外で涙を見せるのは俺の前だけにしてくれるかい?」
「あら、隊長。それは口説いているおつもりですか?」
「勿論。あんな可愛いマリアを誰にも見せたくないからさ」
「もう 隊長っ、からかわないで下さい」
冗談なのか本気なのか解らない大神の言葉にマリアの頬が紅く染まる。
そんなマリアを愛おしそうに見つめる大神。
「さて、そろそろ戻ろうか」
ズボンのポケットから時計を取り出してちらと時間を見ると大神が立ち上がった。
「…そうですね」
同じように立ち上がったマリアにそっと耳打ちをする大神。
「…実はね、さっき君を抱きしめたいって言ったこと。少し本気だったんだ。」
ますます紅くなるマリアの顔。
そんなマリアに追い打ちをかけるように、更に続ける大神。
「夜にまた二人だけでお祝いをしよう」
そして、そこには照れ臭そうに頷くマリアの姿があった。