「僕のこと好き?本当に愛してる?」
書類にペンを走らせる音だけが響いていた支配人室でサニーサイドが唐突にラチェットに問う。
「…サニー。勤務中よ」
ソファに腰掛け、書類の最終チェックをしていたラチェットは書類から目を離さずに窘める様に返した。
サニーサイドのこの手の質問にはすっかり慣れてしまっているからだ。
「モーツァルトの口癖だったそうだよ」
ところが、サニーサイドから返ってきたのは予想外の言葉。
思わず聞き返すラチェット。
「え?」
「彼は事あるごとに愛する人に向けてその言葉を投げ掛けた。幾度となく、自分の存在意義を確かめる様にね」
唐突にそんな話を引き合いに出されたら何かあるだろうと思うのが心理で、ラチェットも例に漏れずサニーサイドにそれを問う。
「…それがあなたと何の関係があるの?」
「流石、ラチェット。良いところに気が付いたね」
パチンと大袈裟に指を鳴らすサニーサイドに呆れた表情のラチェット。
「思わせ振りだからよ」
「はは。まぁ、そうだよね。いや、僕はさ。自分を幸せに出来るのは、自分しかいないと思っていたんだよ」
「過去形なのね」
「そう、過去形だ。君のそういうところが実に心地よいよ」
細かなニュアンスに気付くラチェットに機嫌良さそうにウィンクするサニーサイド。
「それは、ありがとう。それで?」
照れ臭さを隠す為なのか素っ気ない態度のラチェット。
サニーサイドもそれを気にすることなく、言葉を続ける。
「ところが、僕のその思いは呆気なく覆ってしまったワケ」
「どうして?」
「簡単なことさ。君が僕のその思いを超えたからだよ、ラチェット」
「私が?あなたの?」
「そう。僕を幸せに出来るのは君しかいないじゃない」
「………」
会心の笑みを見せるサニーサイドに対して、複雑そうな表情のラチェット。
「どうしたんだい?黙って」
「…普通は逆じゃないかなって思っただけ」
「逆?ああ、僕が君を幸せにするってこと?」
少し頬を染めて頷くラチェット。
「それは当たり前の前提だからさ。重要なのはそこじゃない。それだけだと、ただの独りよがりだからね。つまり、僕はさ。君といて幸せなんだってこと。もう、とにかく、何よりもね。僕だけじゃそれ以上の幸せは掴めないと思ったワケなんだよ。だから今は、少しでも愛されたいと願ったモーツァルトの気持ちが理解出来るよ。僕も君に見放されたらと考えただけで、背筋が凍るからね」
「…で、いいの?」
「ん?」
「あなたは”少し”で良いの?」
サニーサイドの話に耳を傾けていたラチェットはソファから立ち上がるとサニーサイドの正面まで歩き、言った。
ラチェットを暫く見つめた後、不敵に笑ってサニーサイドが答える。
「…まさか。僕を誰だと思ってるんだい?」
そんなサニーサイドを見つめ返すラチェット。
そして、微笑んで。
「…そうよね」
「ああ、そうさ。それに、君も”少し”じゃ足りないでしょ?」
そう自信ありげに言ったサニーサイドの言葉に、頬を染めてラチェットが頷く。
サニーサイドはラチェットのその返答に満足そうに笑うとラチェットの腕を引き寄せた─。
ある日のリトルリップシアターでの出来事。