事務局での伝票整理をやっとの思いで終え、食事の時間までは部屋で一休みでもしようかと部屋に向かうと、俺の部屋のドアの前に誰かが立っているのが目に入った。
彼女は、俺が来たことに気付くとこちらを向いてためらいがちに少し微笑んだ。
彼女が帝劇に来てから早一年が経とうとしている。
もっとも、初めの頃は”彼女”だとは思っていなかったけれど。
何より今は、こうして笑いかけてくれるようになったことが嬉しい。
…と、そんなことより、
「レニ、どうした?俺に何か?」
「…うん。…隊長に聞きたいことがあるんだ」
うつむき加減でレニが言った。
「そっか。じゃあ、こんな所では何だから…良かったら俺の部屋で話さないか?勿論、レニがそれで良かったら、の話だけど」
その方が落ち着いて話が出来るだろう。
なるべくなら人に聞かれたくない話なのかもしれないしな。
それにしても、何の話なんだろう?
「…うん。別にいいよ」
「では、どうぞ」
そう言ってレニの肩に手を置くと、肩は冷え切っていてレニがどれだけここで待っていたのかを示しているようだった。
「レニ…。ずっとここで待っていたのか?」
「…え?うん、ずっと考え事してた…」
こんなに冷たくなるほどに?
「そうなのか…。まぁ、とりあえず座って話そうか」
レニを促し、自分もその横に腰掛ける。
レニの表情はどことなく曇っているように見えた。
「…それでレニ。俺に聞きたいことって?」
「…うん…」
「…………」
「…………」
一瞬の沈黙の後、レニが口を開いた。
「隊長…」
「うん?」
「…隊長のことを考えると…。心臓の鼓動が早くなるんだ…。脈も平常より早くなって…。何だか解らないけど息苦しい感じもして…。でも、緊張の症状とは違う感じなんだ。ボク…どこかおかしくなっちゃったのかな…?」
そう言っておれの顔を見つめるレニの表情はとても辛そうで、切なげで。
とても放って置くことなんて出来ない深く水をたたえた湖のように蒼く、そして澄んでいる瞳。
いつからだろう…。
レニだけは俺が守りたいと思った。
何者にも彼女を傷付けられたくないと思った。
もう二度とレニを失うことがないように。
いつでもレニのそばにいるって、あのとき誓ったから。
「…レニ…。おかしくなんか…、ないよ。全然おかしくなんかない…。俺もレニのことを考えるとそうなるよ。それはね、レニ…。レニのことが大切だからだ。レニのことが大好きだからだよ。俺がレニに『恋』をしているからだ…」
どうしても、この言葉以外は当てはまらないんだ。
そう確信してしまったんだ。
それは指揮官としては感心できない感情なのだけれど。
いつかレニに言ったように『大切なひと』を守るために剣を手に取らねばならないのならば、それは『大切な笑顔』を守るためであってもいいと思ったんだ。
俺は君がいたから最後まで戦えたんだよ、レニ。
「…コイ…?」
「… そう『恋』だよ。誰かを大切に想ったり、誰かのそばにずっといたいって思ったり、誰かを守ってあげたいって思うこと。普通の『好き』よりも、もっと違う『好き』をあげたいって思うこと。自分も普通の『好き』よりも、もっと違う『好き』を相手から欲しいって思うことかな」
想いが募れば募るほど君を独占したくなるよ。
「違う『好き』って…?」
「普通に『好き』っていうのがみんなと同じポジションにいるとすると、違う『好き』っていうのはみんなより何歩も何十歩も先のポジションにいるんだよ。みんなよりもね、自分はその人の事を想っているんだよ。何より自分はその人の『特別』になりたいんだ」
君は俺の『特別』なんだよ、レニ。
何にも代え難いほどに。
「それが、隊長が言っている『恋』なの?」
「そう。それが『恋』なんだ。」
認識外の感情に不安そうな表情をしたレニの肩をそっと引き寄せる。
「…ボクは…、隊長に『恋』をしてるの?」
「…さぁ、それは解らない。でも、そうだったら俺は嬉しいよ。俺はレニのことが大好きだからね。」
それを『恋』であって欲しいと思う。
俺がレニを想うようにレニも同じ気持ちでいてくれるとしたら俺はもう何も要らない。
レニがそばにいてさえくれればいい。
「隊長…。ボク…『恋』はまだよく解らないけど…。これだけは解るよ…。」
「うん?」
「隊長がそばにいてくれるとすごく安心できるって事…。隊長に言葉を掛けられるとすごく嬉しい事も…。隊長ともっともっと一緒にいたいって思う事…。… そして、隊長に…、隊長に嫌われたくないって…」
「大丈夫だよ、レニ…。俺は君を嫌ったりなんかしない。さっきも言ったろう?レニのことが大好きだって」
そう言ってレニの額に軽く口づけた。
「…うん…」
照れくさそうに微笑んでレニが頷く。
君の知らないことは俺が教えてあげる。
解らないことは一つ一つ理解していけばいい。
もっともっといろんな所へ行こう。
もっともっとたくさん話をしよう。
もっともっと世界を広げよう。
もっともっとたくさんの君を教えて欲しいんだ。
「…ボクも…隊長のことが大好きだよ…。」
「ありがとう、レニ。」
…いつだっていちばん欲しい言葉は君の言葉だから。