※OVA冒頭バレ
「You trust me?」
「─と、いう訳で君に伯林に行って貰いたいとの事だ。どうだい?ラチェット」
階下に広がる紐育の街並みを眺めてから振り返ると、サニーサイドが言った。
「随分急な話ね」
サニーサイドのデスクの正面に立ちながら、訝しげなラチェット。
「先日の信長の件で賢人機関も焦ったんだろう。何せ、欧州は歴史が古い故に魔の宝庫だ。禁書や遺跡から聖遺物まで他の比較にならない程にね。まぁ、アメリカは逆に歴史に飢えているからこそ魔を呼び込みやすいんだがね。とにかく、賢人機関としては新型霊子甲冑の調整も然り、伯林華撃団の設立が急務な訳だ。巴里と連携して守りを固めるためにもね」
「…それで、どうして私に?」
「君には欧州大戦の経験がある。欧州がどういう土地かを解っているということだ。そして、何より君は聡明で統率力もある」
「それなら、私以外にも適任者がいるはずだわ」
「ラチェット。どうしたんだい?君らしくもない」
憮然とした態度のラチェットにサニーサイドが言った。
「それでは、ひとつ聞かせて頂くけど、あなたは何を以て私らしいと決めているのかしら?」
どうにも食い下がるラチェットに苦笑するサニーサイド。
ラチェットを諫めるように言う。
「…ラチェット。君なら解るだろう?これは任務なんだ。命令なんだよ。君に拒否権はないんだ。残念ながらね」
「…………」
引導を渡したサニーサイドを見据えたまま無言のラチェット。
支配人室に妙な緊迫感が漂う。
先に口を開いたのはサニーサイド。
「…大河君にはもう伝えてある」
ラチェットのこの態度もサニーサイドの想定内で次のカードの用意があるようだ。
そのサニーサイドの言葉にラチェットの表情が険しくなる。
「サニー。あなた、まさか…」
「まさか?何だい?まさか、僕が余計な事を吹き込んだとでも?そう。例えば、君に伯林に行くよう勧めるようにと大河君に仕向けたとか」
「…………」
「僕はそこまで卑劣に見えるかい?まぁ、否定はしないけど。…大河君にはこう言ったよ。平和と君のエゴとそんなものは比較にならないってね」
自嘲気味に鼻で笑うようにそう言ったサニーサイド。
次の瞬間。
ラチェットの右手がサニーサイドの左の頬を打った。
乾いた音がそこに響く。
「…失礼するわ」
不快感を露わにして、サニーサイドに背を向けるラチェット。
ラチェットにしては乱暴にドアを開けると、足早に支配人室を後にした。
ラチェットが去った後、眼鏡を直しながら独りごちるサニーサイド。
「……僕だって、時間を稼いださ。だが、もうこれ以上の先延ばしは無理なんだよ。ラチェット…」
独りになった支配人室にその声は虚しく響いた─。
ラチェットは自室に戻ると、サニーサイドを叩いた勢いもそのままに素早く車のキーを手にして部屋を飛び出した。
足早にパーキングに向かい、愛車に乗り込む。
キーを差し込み回すと、エンジンが低い音をたてて吹き上がり、シート越しにも振動を感じることが出来る。
その心地良い感じに少し落ち着きを取り戻しながら、ラチェットは深く息を吸い込んだ。
スーツのポケットからキャメラトロンを取り出し、指がすっかり覚えてしまっている短縮ボタンの一つを選んで通信をオンにする。
ザーッというノイズの後、直ぐに声が返ってくる。
『…はい。どうかしましたか?ラチェットさん』
「ねぇ、大河くん。今、大丈夫?」
『はい』
「良かった。じゃあ、デートしない?」
『え?!い、今からですか?』
ラチェットの唐突な誘いに戸惑っている様子の新次郎。
キャメラトロンの向こうで慌てふためいているだろうそんな様子が安易に想像出来て、思わず笑みが零れるラチェット。
「ええ。今から」
『は、はい。大丈夫です!』
「ありがとう。大河くん、今どこにいるの?」
『あ、い、家です』
「じゃあ、今からあなたのアパートまで迎えに行くわね。15分くらいで着くと思うわ」
『了解しました!』
「ふふ。じゃあ、後で」
『はい!』
通信ボタンを切ってキャメラトロンを再びポケットにしまうと、ラチェットはアクセルを踏んだ。
新次郎の声を聞いたからか、心も穏やかさを取り戻したようだった。
改めて、先ほどの支配人室での事を思い出してみる。
サニーサイドの指摘は確かに正しかったのかもしれない。
「私らしくない、か…」
自分でもそう思っていた。
いつものように指令に従って任務に就けばいい事なのだから。
それだけの事なのに、ただ”YES”と頷けなかった。
自分でも原因は解っている。
サニーサイドの睨んだ通り、ネックになっているのは”大河新次郎”という存在だ。
幼い頃から独りで何でもこなしてきたラチェットにとって新次郎は自ら進んでテリトリーに入れた初めての存在なのだ。
新次郎といる事で自分も知らなかった自分を見つける事が出来る。
新次郎と過ごす時間は日溜まりの中にいるみたいに心地良くて、暖かくて、優しい自分になれて。
伯林に行くという事はそのかけがえのない時間を手放すという事だ。
今更、そこに戻れるだろうか。
考え事をしている内に車は新次郎のアパートのあるヴィレッジ地区へと入った。
次の角を曲がればアパートまでもう少しだ。
速度を少し落としてカーブを切ると、アパートの前で新次郎が立っているのが見えた。
新次郎もラチェットに気付いたらしく、軽く頭を下げる。
ラチェットは新次郎の横に車を着けると、車から降りて言った。
「大河くん、お待たせ。突然、ごめんね」
「いえ。こちらこそ誘って頂いてありがとうございます!」
まだ少し緊張した様子で新次郎が言った。
「そう言ってくれると助かる。何かどうしても大河くんに会いたくなっちゃって」
少し頬を染めながらそう言ったラチェットに照れ臭そうに笑う新次郎。
「え、えっと。あ、ありがとうございます」
「ふふ。それじゃ、どこに行きましょうか?大河くんに会いたいって事で一杯になってしまって、どこに行くとか決めてないの。誘ったのはこちらなのにごめんね」
「そんな、気になさらないで下さい。ぼくも嬉しかったんですから。ラチェットさんはどこか行きたいところはありますか?」
「そうね…。じゃあ─」
そうラチェットが指差した先は─。
「ぼくの部屋、ですか?」
頷くラチェット。
「何もないですけど、良いんですか?」
「ええ。あなたと二人でゆっくりしたいから」
「そ、そうですか。じゃあ、ぼくの部屋でよろしかったらどうぞ」
照れたような表情で新次郎が言った。
「ありがとう」
それじゃあとアパートの階段を上る新次郎の後に続くラチェット。
少し緊張した面持ちで部屋の鍵を開け、ラチェットを招き入れる新次郎。
「お邪魔します」
「どうぞ。えっと、そちらの椅子に座って下さい。今、コーヒーを煎れますね」
そうキッチンに行こうとした新次郎をラチェットが引き留める。
「あ、大河くん。コーヒーなら私が」
「ありがとうございます。でも、ラチェットさんはお客様なんですから、ゆっくりして下さい。それに、ぼくコーヒー煎れるの結構得意なんですよ?」
「ふふ。じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな」
「はい。待ってて下さい」
そう笑うと、新次郎はキッチンへと向かった。
デスクの傍らに置かれた椅子に腰掛けて、新次郎を待つラチェット。
こんな風に新次郎の部屋を訪れるのは、クリスマスの時以来かもしれない。
考えてみれば、バカンスを郊外の別荘で一緒に過ごして以来、デートらしいデートだってしたかどうか。
自分の立場上仕方ないのかもしれないが、出張や雑事が多くてどうにも時間に追われている気がする。
それでも、シアターに来れば新次郎に会う事が出来た。
だが、伯林に行ったらそれさえもなくなってしまうのだ。
思わずため息をつくラチェット。
そこにカップを二つ持って入って来る新次郎。
「お待たせしました。どうかされたんですか?ラチェットさん」
表情が冴えない様子のラチェットを心配そうに覗き込む。
「え?どうして?」
「いえ。今、ため息をつかれていたので」
「大丈夫。大したことじゃないのよ」
「そうですか?」
「えぇ。それより、良い薫りね」
新次郎が手にしたカップに目をやるラチェット。
「ありがとうございます。お待たせしました」
新次郎は二人分のカップをデスクに置くとラチェットと向かい合うようにベッドに腰掛けた。
「ありがとう。いただきます」
「どうぞ」
ラチェットがカップに口を付けるのを緊張して見つめる新次郎。
「ど、どうですか?お口に合いますか?」
「ええ。とても美味しいわ」
カップから口を離すとラチェットが笑って言った。
その笑顔に思わず安堵の息が漏れる新次郎。
「良かった─…。得意だなんて言ってしまったので、もしお口に合わなかったら格好悪いなって」
「あなたが一生懸命煎れてくれたんだもの。美味しくない訳ないわ」
「ラチェットさん…」
ラチェットの言葉に感動した様子の新次郎。
目を輝かせたその表情は子どもが大人に褒められた時に見せるそれの様だ。
「イヤね。大河くん、大袈裟よ?」
「す、すみませんっ。本当に嬉しくって」
えへへ、と照れたように笑う新次郎。
幸せだと思う。
こんな瞬間が好きだと思う。
誰が好き好んでそれを手放す事が出来るというのだろう。
反面でそんな自分の不甲斐なさに驚いているのも事実で。
正直、どう解決したら良いか迷っているのだった。
「…ねぇ、大河くん。今日は大河くんにお話があるの」
急に神妙な面持ちになってそう話すラチェットに新次郎も緊張の表情でそれを受ける。
「はい」
「サニーからもう聞いていると思うけど、私に伯林出向の指令が出ているの」
「…はい。伺ってます」
「正直…、私は行く事を迷っています。だから、あなたはどう思うのかを聞かせて欲しい」
「ぼくは─ラチェットさんは伯林に行かれるべきだと思います」
ラチェットを真っ直ぐ見て新次郎が言った。
「それは…あなた自身の言葉?それとも、サニーの命令?」
「ぼく自身の言葉です」
「理由を聞かせてもらえる?」
「─ぼくがラチェットさんに救われたからです。あなたが居て下さったから、ぼくは今ここに居られるんですから」
「それはあなたが努力した結果だわ」
新次郎の答えに複雑な表情のラチェット。
「それでも、ぼくはあなたのおかげで光を見出せたんです。ぼくのようにラチェットさんの助けを借りて光を見出せる人がきっと居ると思います。微かな光であっても、それはその人にとって大きなものになるかもしれません。ラチェットさんはその光を見つけることの出来る方だから…。─だから、ぼくはあなたは伯林に行かれるべきだと思います」
「納得しかねるわ」
「ラチェットさん?」
「ごめんなさい。でも、私はそんな大層な人間ではないし、そんなに聞き分けが良い人間ではないの…」
表情を曇らせて言葉を詰まらせるラチェット。
そして、続ける。
「…どうして?どうして止めてくれないの?!大河くんにとって私はそれだけの存在?簡単に送り出せてしまう程度のものなの?!」
新次郎の肩に顔を埋めるラチェット。
その肩は震えている。
そっとラチェットの肩に自分の手を置く新次郎。
「…な筈ないじゃないですか。そんな筈ないでしょう?」
静かに優しく言い聞かせるようにラチェットを抱きしめて。
「あなたを誰よりも大切に想っています」
「…なら、どうして?…私は…あなたが居るから、あなたという存在が出来てしまったから、もう今までのようにいかなくなってしまったわ。もう、1人が平気だなんて思えない。あなたは私にいろいろなものをくれたけど、私に1人が寂しいんだってことも知らしめてしまった。自分がこんなに脆い人間だったなんて本当に嫌になっちゃう…」
「ラチェットさん…。本当の事を言うと、ぼくだって寂しくないと言ったら嘘になります。いつだって、近くであなたの笑顔を見ていたい。でも、それ以上にこの世界がもっと平和になって、その平和な世界であなたと一緒に過ごしたいって思うんです。だから、サニーさんの仰ることも正しいと思いました」
「私ばかりが我が儘を言ってるみたいね…」
自嘲気味にそう言ったラチェットに新次郎が言う。
「何を仰ってるんですか。あなたに伯林に行って欲しいっていうのは、ぼくの我が儘以外にないでしょう?ぼくがあなたと平和な世界で過ごすっていう為の」
顔を上げると精悍な表情の青年。
少年と呼んだ方が似合っていた彼はいつの間にこんな顔をするようになったのだろう。
思わず見とれるラチェット。
「ふふ…。確かにあなたの勝手ね」
ようやく笑ってラチェットが言った。
「そうですよ。ぼくの勝手なんです」
打って変わって少年のように笑う新次郎。
「それからですね、ラチェットさん」
「何?」
「ラチェットさんは1人なんかじゃないですよ。星組のみんなもサニーさんやプラムさん達だって、離れていてもぼくたちは仲間なんですから」
「…本当にそうね。どうして1人だなんて思ったのかしら」
「それに、ぼくだって離れていてもあなたを想う気持ちに変わりはありません」
「信じてもいいの?」
「はい。ぼくを信じて下さい」
ラチェットのその問いに力強く頷く新次郎。
「ありがとう、大河くん」
晴れ晴れとした表情で微笑むラチェット。
幸せそうに新次郎の胸に頭を預けると、言った。
「…サニーに謝りに行かなくっちゃ」
「え?」
「実は、あなたに会う前、サニーをひっぱたいて出て来てしまったの…」
面目なさそうに小声になって。
「えぇっ?!」
信じられないといった表情の新次郎。
「も、勿論、反省はしてるのよ?でも、サニーの言い方に腹が立ってしまって、つい…」
しどろもどろに弁明しながらチラと上目で新次郎を見るラチェット。
そんなラチェットが可愛く思えて、新次郎の口元が自然と緩む。
「ぼくもお供させて頂いてよろしいですか?」
「あなたが付いて来てくれるなら、とても心強いわ」
新次郎の申し出に笑顔で答えるラチェット。
「それじゃあ、行きましょうか」
手を差し出す新次郎。
「えぇ」
─1人が寂しいことを教えた人は、1人じゃない事も教えてくれた人で。
その事を知ることが出来た自分の幸福を神に感謝しながら、ラチェットは新次郎の手を取った─。
~あとがき~
…と、いう訳で新次郎×ラチェットでした。
いやぁ、今回の新次郎は余裕がありますねぇ!(笑
書いてる当方も吃驚!(ヲイ
いや、もう、別の機会に昴さんに振り回されちゃって頂きたい(爆
それはさて置き。
大人の事情だから仕方ないとはいえ、
OVAの1巻でラチェがいきなり伯林に飛ばされてしまったので(-。-;
潔く伯林に行ったんじゃないんだぞみたいなところを書きたかったというか。
あの時、帝都に入隊した時のラチェットとは、
抱えているものが全然違うのでそこを書きたいと思いました。
で、ついでにサニーさんに犠牲になってもらって(笑
サニーさん初書きだったんですけどね…( ̄∇ ̄;
まぁ、サニー×ラチェも好きなのでいつか書きたいですね。
余談ですが、タイトルはディズニー映画「アラジン」より。
アルが魔法の絨毯に乗る事を躊躇うジャスミンに向かって、手を差し伸べながら言う台詞です。
何か好きな台詞なんですよねぇ O(≧∇≦)O
『僕を信じて?』
新次郎に似合うなぁとか思いまして( ̄ー ̄)ゞ
title by:dix/恋をした2人のためのお題『1人が寂しいことを教えた人』