街の何でもない灯りでさえもその美しさに色を添える巴里の夜。
そんな巴里の夜の上空をゆっくりと旋回する一隻の飛行船。
そして、最新鋭の機械と豪華な調度品で整えられたその船室で、ワイングラスを片手に部屋前方に備え付けられたモニタを見つめる二人の人物。
モニタに映るのは人型蒸気同士の戦闘場面。
「あのコたちもやっとまとまりが出て来たと思わないかい?」
モニタを見ながら満足そうに頷いた淑女の名はグラン・マことイザベル・ライラック。
貴族として巴里社交界に大きなコネクションを持つ一方で、モンマルトルで絶大な人気を誇るテアトル・シャノワールのオーナーとしての顔も併せ持つ。
そして、巴里防衛構想の要である巴里華撃団の総司令その人である。
「oui,madam.大神君の力量には感服させられますな」
流暢なフランス語を操り、スーツ姿も様になっている東洋の紳士。名を迫水典通という。
在仏日本大使を務めている。在日時はやり手の人物として”鉄壁の迫水”の通り名で政財界から一目置かれる存在であった。
その迫水も、賢人機関のメンバーとして巴里華撃団凱旋門支部長としての裏の顔を持っている。
さながら、ここは巴里華撃団巴里上空支部と言っても過言ではないだろう。
「レビュウにも磨きがかかってきたしね」
グラン・マのその言葉に迫水も目を細めて答える。
「何と言うか色気を感じる時もある」
「おや。流石はムッシュ迫水だね。昔取った杵柄というやつかい?」
「ははは。昔とは酷いですな、マダム。私は美しいマドモアゼルやマダムたちが在れば、いつでも引き寄せられてしまうのです」
”鉄壁の迫水”は、女性には目がないらしい。
しかし、慌てずに切り返すところが流石と言うべきだろうか。
「それは失礼をしたね」
「いえ。それにしても彼女たちの成長振りは本当に目を見張る物がありますよ」
「ああ。本当によくやってくれているよ。ムッシュ大神もあのコたちもね」
そう話をしている間に飛行船はエッフェル塔上空に差し掛かった。
エッフェル塔は1889年に万博を象徴するモニュメントとして、シャン・ド・マルスに建てられた。
デザインは当時橋梁建築で名を馳せていたギュスターブ・エッフェル。
建設当時は、美観を損ねるとして300人あまりの文化人の反対にあったエッフェル塔であったが、20年後に取り壊すという約束で建てられ万博に色を添えた。
それが、軍に無線電信施設としての利用価値を見出されたことにより、取り壊し予定であった1909年をかいくぐり今に至るという訳だ。
無骨な鉄骨でしかなかったエッフェル塔は、37年の時を経て巴里市民たちに認められ、今もこうして万博に花を添えている。
人の美観とは不思議なものだ。
窓の外のライトアップされたエッフェル塔を見つめる二人。
「夜のエッフェル塔もなかなかですな、マダム」
「そうね」
光に照らされて夜も尚、その存在感を主張するかのようなエッフェル塔を見つめながら、何事か考えている様子のグラン・マ。
「…光を浴びるエッフェル塔ねぇ…。いいじゃないか」
「?マダム?何か?」
「ムッシュ迫水、いい事を思いついたんだけどね」
グラン・マがこう切り出す時は何かよからぬ企てがある時だ。
しかし、正直迫水もそういうことが嫌いではない。
すぐにグラン・マの話に耳を傾けた。
「はい」
「……の時に……を……というのはどうだい?」
「それは大胆な事を思いつきましたな、マダム」
言葉でそうは言っているが、迫水には驚いた様子はない。
むしろ、想像の範疇だったということなんだろう。
「男も女も時には大胆になる事が必要なのさ。ムッシュなら解るだろう?」
「いや、これは一本取られましたな」
「では、ムッシュ迫水。この件は極秘に進めるという事でいいかい?」
「ウィ、マダム」
そうして、巴里華撃団ツートップによる謎のミッションは幕を切った。
これは後に起こる目を疑うような出来事の発端に過ぎない。
─華撃団ツートップの謎の会談から1週間後。
大神を始めとする花組の面々は、シテ島方面からエッフェル塔方面に向かって、セーヌ川を船で進んでいた。
グラン・マの命でセーヌ川に異常がないか警らする為である。
それがグラン・マの策略とは知らずに。
「ポン・デザール(芸術橋)、異常なし。隊長の方はどうだ?」
「ああ、異常なしだ」
「わぁ!大神さん、オルセー駅の灯りが綺麗ですねぇ!」
「そ、そうだね。エリカくん」
「私、セーヌ川をこうして船で行くのは初めてです…ぽっ」
「俺もだよ、花火くん」
「ねぇ、イチロー。巴里の街もこうやって川の上から見るとまた雰囲気が違うね」
「そうだね、コクリコ」
「何だってお嬢チャンたちとナイトクルーズを楽しまなきゃならないんだい。どうせなら、あんたと二人が良かったぜ。なぁ、隊長?」
「ロ、ロベリア」
「何本気にしてるんだい。…バカだからか?」
ちなみに、これ。1対5の会話である。
大神のこれは最早、特技ではないだろうか?
帝都で最大11人(三人娘も含む)の話を聞き分けたこともある。
それに比べれば、こちらはメルとシーを加えても最大で7人だ。
大神にしてみれば逆に楽になったのだから、これ位はどうって事はないという訳だ。
さて、話は戻って船上の花組である。
辺りを注意深く見ながら(一部例外があるが)、船でセーヌ川を進む花組。
始めにその異変に気付いたのはコクリコ。
アレクサンドル3世橋を過ぎた辺りだ。
「あれ?ねぇ、今何か光らなかった?」
「え?何か光りました?」
「うん。何か一瞬ピカッと光ったように見えたんだけど。イチローは見えなかった?」
「うーん、俺も判らなかったよ」
「それはどちらの方角だ?コクリコ」
「うん。あっち」
そうコクリコが指差した方を皆で見る。
「エッフェル塔の方ですね」
「大方、雷か何かと見間違えたんじゃないのかぁ?」
甲板に直に座り、船室の壁に寄りかかりながらロベリアが言った。
「この雲一つない空のどこに雷が落ちるというのだ!大体、貴様のそのだらしない姿勢は何だ?!今は任務中だ!」
「どんな姿勢でいようとアタシの勝手だろうが」
元々、巴里始まって以来の大悪党と称されるロベリアの入隊には反対だったグリシーヌ。
ロベリアも常に高圧的な態度のグリシーヌが気にくわないものだから、すぐに挑発するような言い方をする。
この二人、寄ると触るとすぐにこれが始まってしまう。
すみれとカンナのようなものだが、こちらの方が質が悪いように思える。
まだ付き合いが浅いから当然かもしれないが。
「二人とも止めるんだ」
「止めるな、隊長!今すぐこの悪党の性の根をたたき直してやるのだ!」
「ほぉ、言ってくれるねぇ。やれるもんならやってみな!」
「その言葉、後悔するがよい!」
「後悔するのはどっちだろうねぇ」
大神の制止の声も聞かず臨戦態勢に入る二人。
その時。
「ああーーーーーーっっっ!!!」
エリカの突然の大声に驚く一同。
「ど、どうしたんだい?エリカくん」
「もうっ、いきなりビックリするじゃない」
「一体どうなさったんですか?エリカさん」
「あれ!あれを見て下さい!!」
口をパクパクさせながら、そう前方を差したエリカの指の先を見ると目の前に信じがたい光景が広がっていた。
「な、何だ?!あれは?!」
「エッフェル塔が…?」
「光ってる!ボクがさっき見たのと同じ光だよ!」
しばし、呆然とその光景を見つめる一同。
それもその筈、エッフェル塔は雷を纏ったかのような白銀の光をその身に纏い、ビカビカと点滅を繰り返しているのだ。
これはライトアップと一言で済まされる代物などではない。
相当のインパクトだ。
こういう時にこの場を構成する面々の反応といったらこんな感じで。
「!怪人の仕業に違いない!隊長、グラン・マに連絡だ!」
「ああ!とにかく船を着けてシャン・ド・マルスまで行ってみよう!」
来るべき敵襲に備えて、気を引き締める者。
「わぁ!よく見ると綺麗ですねぇ、ロベリアさん!」
「あはははっ!ヒマな野郎がいたもんだぜ」
その状況を楽しむ者。
「本当に怪人の仕業なんでしょうか…」
「うーん。それにしては、タイミングが良すぎるっていうか…」
一歩引いて状況を理解しようとする者。
とにかく、一同は隊長である大神の判断でアルマ橋付近に船を泊め、エッフェル塔が建つシャン・ド・マルスへと向かうことにした。
あえて、エッフェル塔に最も近いイエナ橋に船を泊めなかったのは怪人の仕業だった場合に、上陸するところを見つかる可能性が高いからである。
幸い夜であるから今は閉まっているが、シャン・ド・マルスは万博会場でもある。
ここで怪人に暴れられでもしたら、明日からの万博にも響く。
それでなくても先日のエッフェル塔での巨大蒸気との戦闘の所為で、施設の一部で少し修復を要することになってしまったのだ。
巴里の街を守る巴里華撃団の名に懸けて、これ以上の損害は避けねばならない。
一方、その頃。
話題の中心にあるエッフェル塔の最上部の展望室で、そんな花組の様子を映したモニタを見ながら笑っている人物が居た。
「あははは、あのコたちも想像通りに動いてくれるねぇ」
「ここまで予想通りだと笑いが止まりませんな、マダム」
今回の黒幕、もといグラン・マと迫水である。
予め船に仕掛けておいたカメラから花組の様子を窺いながら、今回の騒動を起こした訳だ。
そんな楽しそうな彼らとは正反対の不安そうな面持ちの女性。
「本当にこんなことをなさってよろしいのですか?」
グラン・マの有能な秘書、メル・レゾンだ。
「メルは心配性ですねぇ。お祭りだと思えば良いんだよぅ。それにこういうのって楽しんだ者勝ちだしぃ」
楽天的な言動でそれを返したのはグラン・マのもう一人の有能な秘書であるシー・カプリス。
「そ、そう?」
そのメルの問いに答えたのは他でもないグラン・マ。
「そうだよ、メル。あんたもたまには肩の力を抜きな」
「ウ、ウィ、オーナー」
グラン・マのその言葉に頷いてから、メルは小さくため息をついた。
「大神くんたちも、もうそろそろこちらにに着く頃ですな」
階下に広がる万博会場を眺めながら、大神たちがやってくるであろう方向を見つめる迫水。
「こちらも第2弾と行こうかね。メル、シー派手にやっておやり」
「「ウィ、オーナー!」」
エッフェル塔の突然の異変に何事かと見入る野次馬たちをかき分けて、アルマ橋からようやくのことでシャン・ド・マルスに辿り着いた大神たち。
そんな彼らを待ち受けていたのはグラン・マの次なる出迎え。
『ヒュー…、ドドーン!!』
「な、何だ?!」
ギラギラと白銀に輝くエッフェル塔上空に次々と上がる花火。
「敵はどこに居るのだ?!」
緊迫する大神とグリシーヌをよそに打ち上げられた花火に見入る他の面々。
「わぁ!素敵ですね、ロベリアさん!」
「まぁ、悪くないね。…って、おい!そんなひっつくな!鬱陶しい!」
「綺麗だね!何だかマジックみたいだ!」
「えぇ、本当に」
そんなノンビリとした皆の感想にグリシーヌが叱責する。
「お前たち!何を悠長なことを言っておるのだ!敵が目の前にいるのかもしれぬのだぞ!」
「そんなこと言っちゃって~。グリシーヌさんもちゃんと見て下さいよ、ほらほら!」
グリシーヌの小言にも動じてない様子でエリカがグリシーヌを強引にエッフェル塔の方に向かせた。
『ヒュー…、ドドーン!!』
花火の音が辺りに響いて、上空に見事な華を咲かせた。
「ね、綺麗でしょう?」
「…うむ。美しいな…」
思わず花火に見とれながらグリシーヌが言う。
だが、次の瞬間にハッとして再びエリカの方に向き直った。
「そうではない!私が言っておるのは!」
『ビー、ビー、ビー…』
グリシーヌが二の句を告げようとした時、大神の持っていたキネマトロンが鳴った。
慌てて、通信を繋ぐ大神。
「はい、大神です!」
『…ムッシュかい?』
「支配人!ああ、良かった!先ほど連絡が取れなかったのでどうされたのかと…うわっ」
グラン・マと聞いて大神を押しのけ、キネマトロンの前に行くグリシーヌ。
「グラン・マ!エッフェル塔が奇妙な光を発しておるのだ!」
『知ってるよ。奇妙な光とは言ってくれるねぇ』
「は?何を申しておるのだ?グラン・マ」
『今回の件は全部、あたしが仕組んだ事さ』
「…申しておることがよく解らぬが?」
『何回も言わせるんじゃないよ。今回の件はあたしの仕業だってことさ』
グラン・マのその言葉に目が点になっているグリシーヌを押しのけてエリカが言った。
「ってことは、グラン・マって怪人だったんですかぁ!エリカ、ビックリです~!」
エリカのその言葉に吹き出すロベリア。
「くくくっ!怪人には違いないかもな」
『エリカ…。後で支配人室に来な…』
「へ?」
「エリカさん、お気の毒に…」
「そ、それで支配人」
事情はよく分からないが、怪人の仕業ではないらしいことは解った。
大神は気を取り直して、グラン・マに聞くことにした。
『何だい?ムッシュ』
「今回の件の意図するところというのは?」
『意図するところ?あはは、そんな大層なものじゃないよ』
「と、言いますと?」
『最近のあんたたちの頑張りを見てね。あたしも何かしたくなったのさ。これはご褒美だよ』
「はぁ…」
だから、任務として船に乗るように言ったのかと納得した大神であったが、それにしたって何て人騒がせなんだとは口には出さないでおいた。
その方が身の為だと解っているからだ。
「ってことは、ボクたちの為にエッフェル塔をこんな風にしてくれたり、花火を上げてくれたりしたんだ?」
『なかなか見事だったろう?』
「うん。綺麗だった!流石にエッフェル塔がビカビカ光った時には驚いちゃったけど、本当にマジックみたいで見とれちゃった!」
子供らしい無邪気な笑顔でコクリコが言った。
「はぁ…。まったく頭が痛い…」
力が抜け、呆れ顔のグリシーヌ。
「大丈夫?グリシーヌ」
そんなグリシーヌを気遣うように寄り添う花火。
『あたしのご褒美はこれからさ』
「何だ?エッフェル塔を飛ばそうとか言うんじゃないだろうね」
「え?エッフェル塔飛んじゃうんですか!?エリカ、またまたビックリです~!!」
『あははは、ロベリア。あんたも良いセンスしてるじゃないか』
「まさか…」
『そうしたいのは山々だけどね。違うよ』
「え?飛ばないんですか?エリカ、残念です~!!」
ごく一部を除き、ホッと息をつく一同。
グラン・マなら本当にやりかねないからだ。
『今、あたしたちはあんたたちの目の前にあるエッフェル塔にいる』
「え?!」
『今夜はここでパーティと洒落込もうじゃないか』
「へぇ…、なかなか気の利いたことをするじゃないか」
『喜んで貰えて光栄だよ。そろそろ、最上級の出迎えがそっちに着く頃だね』
グラン・マにそう言われて前方を見ると、一人の紳士がこちらに向かって歩いて来る。
「ボンソワール、マドモアゼル。お迎えに上がりました」
そう恭しく礼をしたのは誰でもない迫水。
「迫水大使?!」
「やぁ、大神くん。騙して済まなかったね」
「い、いえ…」
「ムッシュ迫水も一枚噛んでいたということか。ますます頭が痛い」
「まぁまぁ、グリシーヌさん。たまには力を抜いてみてはいかがですかな?」
「そうですよ、グリシーヌさん。もっと力を抜かないと」
うんうんと頷くエリカ。
「エリカは抜き過ぎだよ」
呆れたようにそう言うコクリコ。
「さぁ、皆さん。こちらへ。上でグラン・マたちがお待ちです」
『じゃあ、ムッシュ迫水。後は頼んだよ』
「ウィ、マダム」
『大神さ~ん!みなさ~ん!上で待ってますぅ』
『ちょっ…シー!』
『ほらメルも何か言って!』
『え?!』
『ほら、早くぅ!』
『…あの、皆さんお待ちしてます』
メルとシーのその光景をキネマトロンのモニタ越しに見て、大神は思わず口元が緩んだ。
先ほどのエリカではないが、確かに少し力が入り過ぎていたかもしれない。
そして、まだビカビカと白銀の光を発しているエッフェル塔を見上げる。
さすがにこれには苦笑したが、そんなエッフェル塔でさえも街の一部として溶け込んでしまうのだから巴里の街は懐が深いと思う。
まだこの街に住んで数ヶ月ではあるが、本当にこの街が愛おしく感じる。
巴里に来て良かったと心底思う。
振り返れば、後ろには愛すべき乙女たち。
「じゃ、みんな行こうか」
「はい!」
「うむ」
「うん!」
「はいよ」
「はい」
──ひとまず、今夜は戦士の休息。
翌朝、この出来事は『エッフェル塔・謎の発光 怪人の可能性を懸念』として新聞各紙のトップを飾った。
この記事を受けて、即日政府筋から『巴里華撃団による大規模な有事シミュレーション訓練であった』と発表された。
その背後には賢人機関、イザベル・ライラックと迫水典通があったことは言うまでもない。