「大神さん、訓練に付き合って下さ~い!」
「隊長!あとでチェスの相手をしろ!」
「ねぇ、イチロー。ハネツキしない?」
「隊長、ちょいと開けて欲しいもんがあるんだけどよ」
「大神さん・・・宜しければ弓のお稽古ご一緒しませんか?・・・ぽっ」
1
巴里華撃団の隊長に着任して早5ヶ月。
大神一郎は曲者揃いの隊員たちの信頼を勝ち取っていた。
・・・と、同時に忙しい毎日を過ごしていた。
夜はシャノワール。
昼は大神の空き時間を狙いすましたように誰かが予定を聞いてくる。
花組だけでも大変なのに、これにメルとシーを加えた合計7人が順番にやって来る。
大神の性格上、これを断れる訳がなく全員の誘いや要求を可能な限り受けてしまっていた。
当然のごとく、休む間もない。
「・・・はぁ・・・。ホント、体がいくつあっても足りないよ・・・」
そんなわけで大神はここのところ少々疲れ気味だった。
全くもって羨ま・・・贅沢な悩みだ。
「せめて体が2つあれば・・・ん?・・・体が2つ・・・。そうか。体が2つか・・・」
何かを思い立ったらしく大神はベッドから起き上がってクローゼットをごそごそと探り出した。
「・・・あった!確かこれだ」
そう言って大神が取り出したのは、何やら怪しげな一体の人形らしき物体。
それは先日、紅蘭がマリアたちとともに訪仏した際に帰り際になって大神に手渡したものだった。
人形と一緒に入っていた紙切れを取り出し、目を通す。
『・・・こんなこともあろうかと!今、大神はんがこれを読んでるっちゅうことは、相変わらず皆にええ顔してるっちゅうことやね。大神はん、いつか痛い目みるで。気ぃつけや』
さすがは紅蘭。
なかなか痛いところを突く。
大神は苦笑しながら続きに目を通した。
『まあ、それはさておき、そんな大神はんの為にうちがとっておきの発明を持ってきたわ。改めて。・・・こんなこともあろうかと、お人好しな大神はんの為にうちが発明したその名も・・・”身代わりロボット・複製くん”や!』
「身代わりロボット・複製くん?!」
思わずいつもの癖で手紙だというのに発明品の名前を繰返してしまう。
2年の歳月で培われた習慣とは恐ろしいものだ。
『この”身代わりロボット・複製くん”はやね。起動スイッチを押した人の背ぇ形や声や行動パターンを瞬時に読みとってその人の姿になることが出来るんや。その上、音声認識機能も搭載してあるから会話もちゃんと出来るっちゅうめっちゃ優れもんの機械なんやで』
「へえー。すごいな。本当にそんなことが出来るのか。・・・ん?まだ何か書いてあるな」
『・・・ただ、一つ問題があってな。その起動スイッチの耐性がちょい緩うてな。何かの拍子に触れてしまおうもんならあっと言う間に元の人形に戻ってしまうんや』
「完全ではないのか。もし、皆の前で人形に戻ってしまったらバツが悪いな…。でも、この後も予定が詰まっているし、背に腹は代えられないのかも…。さて、どうするかな…。うーん…。よし!有り難く使わせて貰うぞ、紅蘭!」
大神は意を決して人形をベッドの上に置き、鼻にあたる部分にあるスイッチを押した。
『グングングングン…』といった感じのSEとともに人形が段々と大きくなり始め、徐々にその姿が形成されていく。
「す、すごい…」
その過程のあまりの見事さに半ば疑惑をもっていた大神も思わず息を飲んだ。
これは本当に紅蘭の大発明かもしれない。
今、自分の目の前にいるそれは間違いなく大神そのものだ。
どんな仕組みになっているか解らないが、服でさえもその材質から完全にコピーしている。
ただ、ひとつ違うところと言えば、スイッチである鼻の部分が少し赤く見えるところである。
それさえ気にしなければ、大神と何ら変わりない。
これならばどうにか仕事を分担出来そうだ。
「お前の名前は?」
確認の為、複製くんに名前を聞いてみる。
「オレの名前は大神一郎。巴里華撃団・花組の隊長だ」
そこから発せられている声は正しく大神だ。
『よし!これならいける!』
大神は確信を持った。
頭の中で今日の予定の整理をしながら、複製くんと仕事をどう分担するかを考える。
今日は開店までにエリカの手伝い、グリシーヌのチェスの相手、メルとシーと道具部屋の片付け、花火と一緒にコクリコのサーカスの手伝いをすることになっている。
普通に考えたら2件ずつ分担するところだが、”エリカの手伝い”という重要なものが入っていることを考慮せねばならない。
張り切って人助けをするエリカの失敗を行く先々でフォローしなければならない。
半ば、レノ神父に頼まれたエリカの手伝いである。
ましてや大神が一緒となれば一層張り切ってしまうことだろう。
そうなると被害も甚大ではない。
だが、エリカの場合それに悪気は全くないので憎めないのだ。
むしろ、微笑ましいとでさえ思ってしまう。
微笑ましいと言うに相応しい限度を超えていなければの話だが。
しかし、ここはエリカ担当とそれ以外という分け方をするしかない。
大神はため息をついた。
体が2つあっても1:3の割合ではあまり状況が改善されてない気がする。
後はどちらがどちらを担当するかだが、グリシーヌには複製くんが偽物だと気付かれてしまう恐れがある。コクリコも然りだ。
逆にエリカは多少おかしいところがあっても、『今日の大神さんちょっと変ですね』で終わってくれることだろう。
エリカの場合、逆に心配なのは複製くんの耐性となる。
それはなるべく早く他の用を終わらせて自分が早くそちらに合流して、エリカに気付かれぬよう複製くんと入れ替われば何とかなりそうだ。
「よし、決まった!」
この間、20秒。
江田島海軍士官学校主席卒業という思考、判断力はこういうところでも生かされるらしい。
「俺はグリシーヌ、メルくんとシーくん、花火くんとコクリコの用を済ませるから、お前はエリカくんの手伝いに行ってくれ」
大神がそう言うと複製くんは大神と同じ声で頷いた。
「ああ、解った」
自分に言って自分が頷くのも妙な感覚だと思いながら大神は続ける。
「俺はなるべく早く用を終わらせてそっちに合流して入れ替わるから、それまでどうにか耐えて欲しい。何かあった時のために携帯キネマトロンを渡しておく。俺が合流する時もこれを鳴らすよ」
携帯キネマトロンを渡しながら、せめて自分が行くまでは持ちこたえて欲しいと大神は願う。
「ああ」
「エリカくんとは教会の前で待ち合わせている。…そろそろ、時間だな。では、健闘を祈る」
「了解。では、現地へ向かう」
『おいおい、大袈裟な…』とつい突っ込みたくなるほど、彼らは結束を固めてそれぞれの現場へと足を向けた。
2
それから、2時間後。
大神一郎は未だブルーメール邸にいた。
最も早く終わると思われたチェスの相手だったが、相手は誰でもないグリシーヌである。
これが簡単に終わる訳がない。
チェスが弱いと言えない、むしろ強い大神はもう2局続けて勝ってしまっていた。
「!隊長、もう1局だ!」
こうなると自分が勝つまでやるのがグリシーヌである。
要は大神が負ければ帰れるのだが、わざと負けるような手は見え透いていて、鋭いグリシーヌは直ぐに気付いてしまうことだろう。
むしろ、馬鹿にされたと怒ってまた決闘だなんてことを言い出しかねない。
エリカの所に向かわせた複製くんの安否を気にしながら、大神は駒を手に取った。
「これで、痛み分けか。うむ、今日はこれくらいで止めるとしようか。やはり、貴公との対局が一番手応えを感じるな。なかなか楽しめたぞ」
「そ、そうかい?俺も楽しかったよ」
「うむ。また相手をするが良い」
「ああ、喜んで。じゃあ、俺行くよ」
「ああ。開店時間には遅れるなよ」
結局、時間が経つにつれ集中力散漫になった大神が2局続けて負け、勝ち星が並んだことによってグリシーヌから解放されたのは家を出てから実に4時間後であった。
携帯キネマトロンに何の連絡も入らないところをみると、どうにか耐えてはいるようだ。
耐性はどうにか信用出来るものらしい。
紅蘭の発明品だけに一番心配されるのは爆発なのだが…、とにかくあと2件の用事を手っ取り早く終わらせねばなるまい。
大神は急ぎ足で次の目的地シャノワールへと向かった。
一方その頃…──複製くんは疲れを知らないためかオリジナルよりも素早くエリカのフォローに徹していた。
「あーーーっ、大神さんそれ取ってくださ~い!!」
「っとと、これかい?」
「はいー!!ありがとうございますーー!」
エリカの後ろをぴったりマークし、手際よく仕事をこなしていく。
今日だけでもう何回目かも解らないエリカのフォローに耐えているのは、機械の耐性そのものよりもさすが大神のコピーだといったところか。
コピーはあくまでコピーにしか過ぎず、ここまで上手いことエリカのフォローに回れているのは過去の大神の行動パターンに拠るところが大きいからだ。
つくづく、大神の雑用係…いや、花組隊長としての気配り(?)には頭が下がる。
ガツン。
…………。
ところがどうして、人生(というのかは疑問だが)どこで何があるか解らないものである。
座りながら作業していた複製くんの鼻に複製くんに背中を向けて作業していたエリカの肘が触れて起動スイッチの電源をオフにしてしまった。
『グングングングン…』と、先程とは逆にあっという間に元の人形に戻ってしまう。
ようやくエリカが振り向いて話し掛けた。
「ねぇ、大神さん。って、あれ?」
後ろを振りかえって大神に話し掛けたもののその姿はない。
大神がいたはずのそこに残されているのは一体の人形のみである。
「どこに行ったんでしょうねぇ、もう。」
人形…複製くんを不思議そうに手にしながらエリカはふと人形の鼻の部分が赤いことに気付く。
「??えい。」
起動スイッチにそっと手を触れるエリカ。
だが、人形は何の反応もない。
「…何て。何か起こるはずないですよね」
と、後ろの方で声がしてエリカは咄嗟に後ろを向いた。
それが無意識に指が起動スイッチを押してしまう形となった。
「ああ、向こうにも困った方が!待ってて下さいね!今行きますから!」
パッとその場に複製くんを置いて声のした方向に走り出すエリカ。
その場に残された複製くん。
と、なると…。
もしかしなくても…。
「これは…大神さんの携帯キネマトロンじゃないですか」
足下に落ちていた携帯キネマトロンを拾いながらエリカ…、複製くんが言った。
「もう大事なものをこんな所に忘れてダメじゃないですか~。きっと困ってますよね。うん!エリカが届けてあげましょう!」
強引な展開ながらも、よりにもよってエリカに変わってしまった複製くん。
果たして大神の運命やいかに!?
3
複製くんがある意味で最強のエリカモデルになってしまった頃、大神は予定通りシャノワールでメルとシーの手伝いをしていた。
「えっと、これでいいのかい?」
「…はい。大丈夫です」
「これで終わりですぅ」
「助かりました。高いところはなかなか手が届かなくて」
脚立を押さえながらメルが言った。
「それにしても、大神さんってホント、雑用に慣れてますよね」
掃除用具を片付けながらシーが言った。
「ちょ、ちょっとシー、失礼よ」
「はは。いいんだ、メルくん。まぁ、帝劇でいろいろやったからね。伝票整理に料理の手伝い、迷子捜しに照明係や大道具係の真似事みたいな事をした時もあったな」
言いながら、つくづくいろんな事をやってきたなと改めて思う大神だった。
「わぁ、ホントにいろいろやってるんですねぇ!」
「大神さんのおかげで早く仕事が片づいたからお茶にしましょうか」
「あ、賛成~。あたし、クッキー焼いてきたんですよぅ。大神さん、お茶しながら他にどんなことを手伝ったことがあるのか聞かせて下さいよぅ」
「ああ、いいとも」
メルの提案にシーも賛同して、大神たちは客席へと向かった。
ロベリア・カルリーニはトワール・ダレニェを後にすると忌々しげに空を見上げて呟いた。
「ちっ、嫌みなくらい晴れていやがる…」
雲一つ無く、青い空。
悪党の自分には全く不似合いだと思う。
まるで、世の中には心から悪い奴はいないと大真面目に主張するあの男のようだ。
鬱陶しくて仕方がない。
減刑の代わりに化け物と戦う、なんて契約がなければ一生相容れない人種だ。
ところがどうして、そう邪険に出来ないでいる自分がいる。
そんならしくないことを考えた自分が腹立たしくて、ロベリアは外に置かれていたゴミ箱を蹴った。
「ああっ、ロベリアさん。駄目ですよ、そんなことしちゃ!」
そこに通りかかったのはまたもやロベリアにとって鬼門の人物。
「ちっ…」
面倒くさいのに会っちまったと思わず舌打ちするロベリア。
どうにもこうにも自分の脅しも理屈も効かないこの少女は苦手なのだ。
「そうそう、ロベリアさん。大神さんを見ませんでしたか?」
「知るか」
「そうですかー。大神さんったら仕事の途中でいなくなっちゃったんです。まったく、仕事を放っぽってどこ行っちゃったんでしょうね。エリカ、プンプンです!」
言いたいことだけ言うとエリカはさっさと行ってしまった。
マイペースの極地というか、このペースについていけないのだ。
…と、背後に気配を感じてバッと振り向く。
「ロベリアさん、わたしですよ~」
今行ったばかりだというのに引き返してきたのか、再びエリカの顔がそこにあった。
「大神さんを見ませんでしたか?」
わざわざ戻ってきて同じ質問。
本当に訳が解らない。
「だから、知らねぇって…。ん?」
何かおかしいとエリカを凝視するロベリア。
「そうですかー。?どうしました?ロベリアさん。わたしの顔に何か付いてます?」
「いや…。(何か焦げ臭いな。あ?エリカ…、からか?……ははーん。隊長の奴、何かしくじりやがったな?こいつはいい小遣い稼ぎになりそうだぜ)」
さすがはロベリア。
エリカが何やら別物であるらしいと気付いてしまったようだ。
ニヤと笑ってエリカに言う。
「おい、エリカ。アタシも隊長を捜すの手伝ってやるよ」
「本当ですか?!さすがはロベリアさん!腹が黒いですね!」
こういうところはさすがはエリカのコピー。
エリカが外すと思われるところはしっかりと外す。
先ほどの大神同様、正に完全コピー。
この焦げているような臭いさえしなければ、紅蘭の大発明と言えよう。
「……お前、それワザとじゃないだろうな」
「何がです?」
「…何でもない。じゃあ、アタシはこっちを捜すからお前はあっちへ行きな」
「はーい。どーんと、任せちゃって下さい!」
そう言って再び往来に駆けだしていく複製くんエリカ。
それを見届けるとロベリアは自分も大神を捜す為にその場を離れた。
4
北大路花火はコクリコとの約束の時間より30分以上も早く、待ち合わせ場所に着いてしまった。
約束の時間に余裕を持って家を出るのは当然のことだが、余裕も余裕、ゆっくり散歩でもしながらサーカスに向かおうとした花火の目に飛び込んできた信じられないもの。
一瞬、何が起きているか判らなかった。
我が目を疑ってはみたが、目を懲らしても確かに目の前に見えるそれにしか見えない。
ぼーっと見とれている間にそれは通り過ぎて行ってしまった。
あれは何だったのかしら?と考えているうちに足は勝手に目的地へと向けられていたようだ。
気が付いたらここ、サーカスの前だった。
引き返すのも何なので中に入ってこうして待ち合わせ場所に来てしまったという訳なのだ。
「あれ?花火!まだ約束の時間じゃないよね」
檻の向こうで作業をしていたコクリコだったが、時間よりも遙かに早い花火の到着に驚いてその手を休めた。
「はい」
「良かった~。ボクが間違えちゃったのかと思ったよ。ちょっと待ってね。今そっちに行くから」
「でもお仕事中では…」
「大丈夫。もう終わるところだからさ」
「はい。」
コクリコの言葉に笑顔で頷く花火。
その笑顔は何となく浮いているように見える。
鋭いコクリコでなければ気付かなかっただろうが、花火は案外隠し事が苦手なのかもしれない。
最も、巴里華撃団にはエリカ、グリシーヌといった考えていることが手に取るように解る者もいるので花火のそれは余程鋭い、人間観察に聡いコクリコやロベリアでなければ判らないかもしれない。
何か心配事でもあるのかな?とコクリコは檻の外に出た。
「あの…コクリコさん」
案の定、何か言いたそうな花火。
「なぁに?花火。」
「私、こちらへお伺いする前にエリカさんをお見かけしたのですけれど…」
何だと思ったらエリカのことかとコクリコは安堵の息を漏らした。
もし、フィリップのことだったりしたら自分ではどう言ってあげればいいか解らないし、正直どの立場で何を言えばいいのかが解らないのだ。
「エリカ?またどこかに頭をぶつけてたとか?」
「いえ、その…」
「なぁに?勿体ぶってないで教えてよ」
言葉を濁す花火を促す。
「エリカさんの背中から煙が出ていたんです」
「はぁ?!」
思わず聞き返すコクリコ。
まぁ、正しい反応だろう。
「ですから、エリカさんの背中から…」
「花火の見間違いとかじゃなくて?」
「はい。私も初めはそう思ったので、目をこすってみたのですけれどやっぱりそう見えるんです」
間違いありません、と頷く花火。
「エリカから煙が?」
「えぇ、煙が」
「背中から?」
「はい」
「……花火がウソをつくとは思えないけど、いまいち信じられないなぁ」
どうにも半信半疑なコクリコ。
「私も初めは自分の見たものが信じられませんでしたから」
仕方ないことです、と花火。
「うーん…。イチローとも約束した時間まではまだ結構あるし…。うん、エリカを捜そう!」
「そうですね。『百聞は一見にしかず』とも申しますし」
コクリコの言葉に花火も頷いて二人はエリカを捜す為にサーカスを後にした。
5
「よぉ、隊長」
ロベリアはシャノワールに帰ってくるや否や客席でメルとシーと一緒にお茶を飲んでいる大神に声を掛けた。
勿論、エリカと違ってむやみやたらに大神を捜しまわったわけではない。
前日ちらっと大神がメルとシーの手伝いをすることを耳にしたので、大方シャノワールのどこかにいるのだろうと見当をつけてここに来たのだ。
「あ、ロベリアさん。ロベリアさんもお茶飲みませんかぁ?」
「ああ、そうだね。貰おうか」
シーの言葉に頷いて大神の隣に腰掛けるロベリア。
「大神さんもお茶のおかわりいかがですか?」
「ああ。よろしく頼むよ」
「では、煎れて来ますね」
そう言ってティーポットを手に立ち上がるメル。
「あ、メル。あたしも手伝いますぅ」
二人が厨房に向かったのを見届けながら大神がロベリアに言う。
「ロベリア。また昼間から飲んでたのか?」
「アンタも言うことがお決まりだねぇ。言ってて飽きないのか?」
その大神の言葉にうんざりした表情でロベリアが返す。
「そう思うんだったら、昼間から飲まなければいいだろ?」
だったらオレも注意なんてしないよ、と大神。
「バカだねぇ。酒は昼間飲まなきゃいつ飲むんだよ」
「それ、夜に飲み過ぎたときも言ってたぞ」
「ああ、もううるさいねぇ。折角、アンタが泣いて喜ぶ情報を持ってきてやったのに」
「俺が泣いて喜ぶ情報?」
心当たりがないといった表情の大神。
「解らないのかい?それとも心当たりが多過ぎてどれか解らないのかい?」
大神のその表情を見てからかうようにロベリアが言う。
「うーん…」
そう言われたところでこれといって思い当たる節がなく腕組みをして考える大神。
「そういや、さっきエリカの奴を見かけたんだけど、あいつ顔から転んだのかなぁ。鼻だけ赤くなってたぜ」
そんな大神に聞こえるように呟くロベリア。
ロベリアのその独り言に大神の顔が一気に青ざめる。
大神のその様子にこれはいけると笑みを浮かべるロベリア。
「ああ。すまないねぇ。独り言だったんだけど、聞こえちまったかい?そこから先は貰うものを貰ってからだ。そうだな。10フランでどうだ?」
「10フラン?!そんなに出せるか」
10フランっていったら生活費1日分ほどにあたるじゃないかと大神。
しかし、冷静に考えればブロマイドは50フランなのであるから大神は生活費5日分をその1枚に費やしているということになる。
どちらが無駄遣いかは突っ込まない方が賢明なのかもしれない。
生活費5日分を賭けてでも手に入れたいものだってあるのだ。
「なら、仕方ないねぇ。何ならこの情報、グラン・マに売ってやってもいいんだぜ?アンタより高く買ってくれるだろうしね。そしたら、アンタは始末書書かされる上に減給だってあり得るんじゃないのかい?」
「うっ…」
確実に大神の足下を見たロベリアの言葉に返す言葉もない大神。
「たった10フランで始末書と減給から逃れられるんだ。安いもんだと思わないか?」
トドメの一言。
大神は渋々ながらも財布を取り出すと10フランをロベリアに差し出した。
「そうそう。人間、素直が一番さ。…まぁ、アンタの体で払って貰っても良かったんだけどね」
チラと潤んだ瞳を大神に向けるロベリア。
「ロ、ロベリア」
ロベリアのその目線に顔を赤くする大神。
「何、本気にしてるんだい。…バカだからか?」
どこまで本気にして良いのか解らないロベリアのその態度には振り回されてばかりの大神である。
「で、肝心の情報だけどね……」
ロベリアの情報を聞くや否や大神は複製くんを捜すべく椅子から立ち上がった。
「あっ!大神さん、お茶のおかわりはぁ?!」
慌てて駆け出していこうとする大神に厨房から戻ってきたシーが声を掛ける。
「すまない!後で貰うよ!」
そう言って客席を飛び出していく大神。
「あんなに慌ててどうしたんでしょう?」
メルの言葉にロベリアがニヤと笑って答える。
「余程、会いたいヤツがいるみたいだぜ?」
6
コクリコは絶句していた。
サーカスの公演でいろいろな所に行ってはいたが、世の中にはまだまだ不思議なことがあるものだ。
公園で見かけたエリカの背中からモクモクと上がるもの。
それは花火の言ったものに相違ない。
公園を過ぎて市場の前まで来たところでコクリコがようやく口を開いた。
「…出てたね、煙…」
「はい」
「…エリカの背中から」
「はい。私の見間違いではなかったようですね」
ニッコリ笑ってそう答える花火に思わず脱力するコクリコ。
「な、何でそんなに落ち着いていられるの」
「私が慌ててもエリカさんの背中の煙が消えるとは思えませんし…」
『変なところでしっかりしてたりするんだよね~、花火は』
ため息をつきながらそんなことを思うコクリコだった。
「ん~、でも放っても置けないしイチローに報告しに行こう!」
「そうですわね。それが最善かと思います」
…と、そこにタイミング良く飛び出してきたのはシャノワールから慌てて出て来た大神。
「あっ、イチロー!」
「!コクリコ、花火くん。まだ約束の時間には早いよね?!」
コクリコに呼び止められて慌てて立ち止まると時計を確認して大神が言った。
「そうなんだけど、イチローに話したいことがあって」
「何だい?俺、ちょっと用があってさ。後じゃ駄目なのかい?」
話ながらも何やらそわそわと落ち着かない様子の大神。
「ダメ…だと思う」
「そうなのか。それで、話ってなんだい?」
コクリコの返答に改めてコクリコたちの方に向き直る大神。
ここは早く話とやらを聞いて急いで複製くんを捜すことにしようということらしい。
「私たち、先ほど公園を通って来たのですけれど…」
「そこで信じられないものを見たんだ」
「信じられないもの?」
「えぇ…」
「驚かないで聞いてね…」
「?あ、ああ。」
「…何と、エリカの背中から煙が出てたんだよ」
「………」
驚きのあまり声も出ないんだろうなとコクリコが大神の顔を見ると大神は顔に大量の汗をかいている。
顔色もあまりよくない。
「ちょ、ちょっとイチロー。どしたの?大丈夫?」
コクリコに言われてハッと気付いたように返事をする大神。
「あ、ああ。大丈夫だよ。ところで、そのエリカくんは公園の方にいたんだね?!」
「う、うん」
「そうか。じゃあ、俺もう行くな。じゃあ、また後で」
大神はそう言って公園方面へと足早に去って行った。
「大神さん、お顔の色が優れないようでしたけど大丈夫なのでしょうか?」
「うん…。ボク、心配だからついてってみるね!」
「あ、コクリコさん。私もご一緒に」
「うん。行こう!あっちに行ったよね!」
「はい」
大神の後を追うことにしたコクリコと花火は再び来た方向へと引き返した。
大神は公園に向かって急いでいた。
コクリコからの思い掛けない話に先ほどから汗が止まらない。
それは間違いなく複製くんだ。
ロベリアの言う通り、煙が出ているようだ。
これ以上、目撃者が出る前に早く元の人形に戻してしまわなければならない。
それにしても、何の手違いで複製くんがエリカになってしまったのだろうか?
ふと、紅蘭の手紙を思い出す。
『スイッチの耐性が緩いって言ってたっけ…。』
大方、ふとした拍子にエリカにぶつかったに違いない。
そこから先は…考えるだけ無駄だ。
自分としたことが作戦失敗だったということだろう。
前方に赤い服の少女を発見して目を懲らすと確かに背中から煙が出ている。
『もうそろそろ限界なのか?!』
大神は自分を落ち着かせるために深呼吸をした。
「あ、大神さ~ん!」
大神の姿に気付いた複製くんエリカが大神の元に駆け寄ろうと足を踏み出したその時、『カーン!』と響く鈍い音。
「痛っ、頭打った~!」
そう頭を押さえる複製くん。
『間に合ってくれ!!』
複製くんの元に飛びつくように駆け寄る大神。
バチバチと火花が散る音がして、大神は咄嗟に複製くんの起動スイッチを押した。
次の瞬間。
ドッカーーーーン!!!!
それを見て驚いたのは大神の後を追って橋を渡って来たコクリコたちだ。
橋を渡りきったところで二人が見たものは爆発するエリカとそれをかばうように飛び込んだ大神の姿。
「!イチロー!?」
「エリカさん?!」
爆煙が収まり、姿を見せる大神とエリカ…の筈だったがエリカの姿がない。
「うわーん!エリカが爆発しちゃったんだ!!」
「どうしましょう、どうしましょう」
混乱する二人に近付く影。
「どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたもエリカが爆発しちゃったんだよ~~!!」
「そ、それは大変です!一大事です!神様にお祈りをしなくては!」
その声で振り向くとそこには…、
「エ、エリカさん?!」
「え?!」
エリカが手を前に組み天に祈っている。
確かにエリカに違いなさそうだ。。
だが、問題の背中を見ても別段焦げている様子も変化も見られない。
「…じゃあ、あれは何だったの?」
「…何だったのでしょう?」
首を傾げるコクリコと花火。
「ああっ、あんな所に大神さん発見!もうっ、やっと見つけましたよ~!!」
騒がしく大神の元へと走って行ったエリカをボーッと見ながら二人同時に同じ見解に達した。
「「これはイチロー(大神さん)から事情を聞く必要があるよね(ありますね)!」」
大神はボロボロになった複製くんを持つと起き上がった。
「けほっ、けほっ。やっぱり紅蘭の発明品。爆発しちゃったか…。と、いうよりさすがの紅蘭を以てしてもエリカくんのドジの派手さを計算しきれなかったと言うべきか。まぁ、不思議と爆発してもケガはしないからいいけど」
大神としてはこれで何とかなったと思っている様子。
ところが…。
「大神さん!」
そこに飛び出して来るエリカ。
「エ、エリカくん」
「途中でいなくなるなんてダメじゃないですか!」
「ご、ごめん」
更にコクリコと花火。
「イチロー。ボク、イチローに聞きたいことがあるんだけど」
「まぁ、コクリコさんもですか。私もです」
笑顔でそう言った二人だがその目は少しも笑っていない。
「はは…。な、何だい?二人揃って」
大神の顔をダラダラと汗が伝う。
その後。
大神はコクリコの新しい人体切断マジックの実験台にされ、頭の上にリンゴを乗せて花火の射る矢の標的にされ、更にエリカの人助けを手伝う羽目になったとか何とか。
そして、公園での爆発騒ぎがグラン・マの耳に入らない筈がなく、当然のごとくその場にいた大神たちは説明を求められたのだが、コクリコと花火のフォローによって減給と始末書からは何とか逃れることが出来た大神であった。
全く持って、持つべきものは頼りになる部下である。
その裏にはマルクのレストランのケーキセットなどというものがあったことは言うまでもない。