晩夏。
大帝国劇場。
舞台成功を祝っての内々だけの打ち上げが中庭で行われた。
舞台が終わって緊張感から解放された所為もあってか皆の表情は明るくはしゃいでいる。
いつもはそれを窘める立場にあるマリアでさえも笑顔で皆の様子を見守っている。
いや、大神と二人の世界を醸し出していると言った方が正しいのか。
観る者を圧倒したそれは見事な舞台だった。
すみれが引退して初の舞台ということで当初は不安も多かったが、そこはやはりさすが花組。
皆が皆、トップスタアなのだ。
その結束力でその不安すら吹き飛ばしてしまった。
そのような舞台に共に立てたことを本当に光栄だと思いながら、かえでは笑顔で皆を見つめた。
…と、目の前に差し出されるバラの花束。
こんなことを普通にやってのける人物は一人しか思い当たらない。
「お疲れ様でした、副支配人。」
トレードマークとも言える白いギターを背中に背負ってこれまた白いスーツに身を包んだその男…帝撃月組隊長、加山雄一だ。
「ありがとう、加山くん」
加山から花束を受け取ってかえでが言った。
「良い舞台でしたね」
嬉しそうな皆の様子を見ながら加山が言う。
「ええ。本当に」
「俺は大神の奴に発破をかけることくらいしか出来ませんでしたけど」
それくらいしか俺は役に立てませんからねと加山。
「あら、やっぱり大神くんの所に来てたのね」
「お気付きでしたか」
「解るわ。あなたのギターの音だもの」
「すみません。騒がしかったですか?」
「そういうことじゃなくて。それだったら、私の所に来てくれてもよかったのにって思っただけよ」
笑顔でそう言うかえで。
どうして来なかったの?という意を含んでいるのは明らかだ。
「夜分遅くにご迷惑かと思いまして」
そんなかえでの言葉に自然と汗が滲む加山。
「迷惑かどうかは私が決めることでしょ」
言い訳はダメよ?と言わんばかりだ。
「…あまりいじめないで下さいよ」
「あら、いじめてなんかいないわよ」
加山の完全劣勢である。
「勘弁してやって下さいよ、副支配人」
かえでの口撃に「参りました。」と白旗を上げる加山。
「”副支配人”として言っている訳じゃないわ」
それでも、追及の手を止めないかえで。
そのかえでの言葉に慌てて言い直す加山。
「俺が悪かったですよ、かえでさん」
「解ればよろしい」
普段は花組のみんなの良き相談相手とも憧れともいえるかえでだが、公私のスイッチは案外明確らしい。
先ほどから恋人が役職名で呼ぶのが気に入らなかったのだ。
「はは…。変なところにこだわるんだから…」
思わずそう呟く加山。
だが、年上ながらにそんな所も可愛らしいと思ってしまうのも事実で。
みなの憧れの”副支配人”が自分の前でしかそういう態度を見せないのは一種、優越感に近いものがある。
「何か?」
「いえ、何でも。…ところで、かえでさん。舞台での舞、お綺麗でした」
「おだてても何も出ないわよ?」
「世辞じゃありませんよ。本当にそう思ったんです」
白銀に輝く着物を身に纏って、静かに美しく舞うその姿に見とれてしまった。
儚げで、まるで夢の中にいるかのように幻想的なかえでの舞だった。
「そう。ありがとう。でも、私は彼女のようにはなれないわ」
微笑んだ後、急に声を落としてかえでが言った。
「え?」
「私は後を追って死ぬなんてことは絶対して欲しくないもの。好きな人なら尚更、ね…」
原作ならば伏姫死後、丶大法師(ちゅだいほうし)となって犬士を捜す旅に出る金碗大輔であるが、金田金四郎はその金碗に伏姫と恋仲という設定を加え、伏姫の死とともに大輔も後を追って命を絶つという風に脚色したのだ。
言うなれば、二人の犠牲の元に八犬士が誕生するのだ。
自己犠牲、他者犠牲という言葉を嫌うかえでには何とも皮肉な物語となってしまった。
「かえでさん…」
「いい?加山くん。もし私が死んでも、後を追おうなんて考えては駄目よ」
加山の方を見据えてかえでが言う。
「…仕方ないですね。あなたがそれを望むのならば俺は生きてみせますよ」
「ええ。ありがとう…」
加山の言葉に笑顔で返すかえで。
「…それから、かえでさん。一つ大事なことを言っておきます」
「え?」
「俺はあなたを死なせませんよ。何が起きても守ってみせます。俺は大神みたいに光武は扱えませんが、あなたを守るだけの剣の腕はあると自負してるんです。そして、俺はあなたを残して死ぬことは決してありません。…ですから、あなたは俺と一緒に生きるんです」
「……加山くん」
加山の言葉にかえでの目に涙が滲む。
「い、いやだなぁ。笑って下さいよ。今日はお祝いなんですから」
いつもの彼独特の笑みを見せて加山が言う。
「ふふっ、そうね。…でも、加山くん。ありがとう…」
「いえ…。(あなたを失うことは考えられないんですよ…)じゃ、じゃあ、ちょっと大神に声掛けて来ますね」
「ええ」
「では、あとで…」
照れ臭そうに俯いてそう言うと加山はギターをボローンと一つ鳴らして大神の元へと歩いて行った。
かえでは笑顔でそれを見送ると、空を見上げて呟いた。
「…姉さん、私は幸せ者ですね」
──その夜、帝劇には皆の楽しそうな声がいつまでも響いていた。