誰もいない音楽室に独りたたずんでみる。
やっぱり夜だけあって淋しい感じがする。
彼女は何時もこの場所で何を思っているんだろう?
ここに座って。
ピアノを弾きながら。
遠い祖国を思っている?
大切な家族を思っている?
ここでピアノを弾いているときの彼女はとても楽しそうで。
そして、綺麗で。
俺はいつも、そんな彼女に見とれてしまうんだ。
鍵盤の蓋を開け、何気なしに鍵盤を一つ、人差し指で押してみる。
『ポーン』と一つ、高い音が俺だけしかいない部屋に響いた。
「少尉さーん」
「うわっっ」
背後からの突然の声に思わず驚きの声を上げて、思わず後ろに仰け反る。
「うふふふっ。なーに驚いてるですかー?」
その声で後ろを振り向くと、そこには織姫くんが立っていた。
「お、織姫くん。どうしたんだい?こんな時間に。」
「わたしは急にピアノ弾きたくなったでーす。そういう少尉さんはここで何してたでーすか?」
「ああ。俺は見回りの途中でちょっと立ち寄ってみたんだ」
もしかして君がいるかもしれないから、なんてことは言えないけど。
そして、本当に君に会えることが出来てすごくドキドキしてるってことも。
「いつもごくろうさまでーす。」
いつもの明るい笑顔で織姫くんが言った。
例の浅草での緒方さんとの和解が成立してから、花組メンバーや俺にも対しても、ようやく心を開いてくれるようになった。
どうにも認めてもらえたようで何だか嬉しい。
「ありがとう。・・・ところで、君がピアノを弾いている間、俺もここに居ていいかい?」
「もちろんでーす。誰かに聴いてもらうのも嫌いじゃありませーん」
そう言うと織姫くんは静かにピアノを弾き始めた。
その音色もさながら、やはり織姫くんは綺麗で。
それは美しい光景で。
・・・俺はやっぱり織姫くんが好きなんだろうな。
それは当然、恋に間違いないだろう。
まいった・・・。
戦いはこれからだというのにこんな浮ついた気持ちではいけない。
でも、いつまでこの気持ちを抑えていることが出来るんだろう。
抑えなくてはならないんだろう。
・・・それでも、彼女を好きだという俺の感情は溢れてきてしまうんだろう。
「・・・少尉さん?どうしたですか?」
恐らく深刻な顔してピアノを聴いていたであろう俺の顔を見て、織姫くんが言った。
「ああ、ごめん。何でもないんだ。ちょっといろいろ疲れちゃってね」
「・・・例えば、好きな人のことを考えていたとか?」
「あ、い、いや、その・・・。まいったな・・・」
妙に鋭い織姫くんの言葉に咄嗟に動揺を隠せなかった。
思わずどもってしまう。
「うふふふふっ、相変わらず少尉さんは解りやすいでーすね」
「お、織姫くん」
「わたしも・・・好きな人のコト、考えてました」
打って変わって真剣な表情になって織姫くんが言った。
「・・・え?君も・・・?」
一体・・・、どんな人なんだろう。
俺が敵わないような人なんだろうか。
「はい。初めてエスコートして欲しいって思った人でーす」
「へぇ・・・?」
何かあまり聞きたくないような聞きたいような複雑な気分だ。
「少尉さーん。何て顔してるですかー?」
相槌を打った俺の顔を見て、織姫くんが言った。
「え・・・?」
「何かすごく暗い感じがしまーす。具合でも悪いでーすか?」
きっとすごく情けない表情をしていたに違いない。
こういうときって何でポーカーフェイスを装えないんだろう。
「ああ、ごめん。大丈夫だよ」
そう言うのが精一杯な自分が不甲斐ない。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
何やら妙な空気が音楽室に立ちこめているようで、二の句を告げること出来ない。
「え、えっと・・・」
「あの・・・」
二人同時に声を発してしまったらしく、声が重なった。
「な、何だい?織姫くん」
「少尉さんこそ何ですかー?」
先ほどから何なのだろう。
この気まずさは。
「・・・お、織姫くんの好きな人って俺の知ってる人かい?」
「何でそんなこと聞くですかー?」
「あ、いや、何か気になってさ」
どうせなら俺の知らない人の方が諦めがつくかもしれないなんて言えるわけがない。
「じゃあ、わたしも聞きまーす。少尉さんの好きな人って、わたしも知ってる人でーすか?」
「え?どうしてそんなことを聞くんだい?」
「わたしが気になるからでーす」
俺の真似をして織姫くんが言った。
「はは、これは一本取られたな」
「うふふふっ。わたしの勝ち、でーすね。・・・・でも、少尉さんが誰を好きなのか気になるのはホントでーす・・・」
急に声を落として織姫くんが言う。
ピアノの鍵盤を見つめて。
俯いている。
俺は・・・。
「・・・織姫くん」
俺はそんな織姫くんの肩に手を置いた。
何となくではあるが織姫くんの言わんとしていることが解ってしまったからだ。
でも、そこから先は俺の口から言いたかった。
「少尉さん・・・」
「織姫くん。・・・俺はね、君が好きだよ」
俺がそう言うと、織姫くんの目から緊張の糸が切れたみたいに涙が零れ落ちた。
「信じ・・・られませーん・・・。」
「俺が彦星じゃ役不足かな・・・」
「そんな筈がないでしょー。役不足な筈がありませーん。・・・でも、わたし少尉さんに酷いことばかり言って来たから・・・」
そう黙ってしまった織姫くんを抱きしめる。
「それはもう終わったことじゃないか。それにこの前言っただろう?”なかなか快感だった”って。あれはまぁ、冗談だったけど・・・。とにかく、俺は織姫くんが好きだから」
俺の目を確かめるように顔を上げた織姫くんの涙を指で拭った。
「ホントでーすか?」
「本当だよ。」
「ホントに、ホントですか?」
「本当に、本当・・・」
「・・・・・・・・・・・・。」
直に、二人の顔が近づいて俺は織姫くんに口づけた。
「・・・なら、信じてあげなくもないですけど・・・?」
唇を離し、俺に寄りかかるようにそう言った織姫くんを可愛いと思った。
「ああ、信じていてくれよ」
そう笑った俺を見上げて、織姫くんが言った。
「・・・それにしても、少尉さん見かけに寄らず手が早いでーすね」
「それだけ君のことが好きだってことにしてくれないか?」
「そ、そういうことにしといてあげまーす。」
俺の言葉に頬を染めて織姫くんが言う。
「ありがとう・・・」
どうか彼女のそばでピアノを聴くことが出来るのは、いつでも俺でありますように・・・。
一層、艶を増した彼女のピアノの音を聴きながらそんなことを思った。