帝都もすっかり平和を取り戻し、花組の復帰公演も大好評のうちに千秋楽を迎え、たくさんの拍手の嵐の中で幕を閉じた。
久々の舞台なのにも拘わらず、みんなの息もピッタリで素晴らしい舞台だった。
何より、さくらくんは舞台に自信が持ててきたみたいで、今は帝劇の看板女優となった。
もっとも、すみれくんの前でそんなことを言おうものなら『帝劇の看板女優はわたくしをおいて他にいませんわ!』なんて、怒られてしまうだろうけど。
さて、マリアには圧倒的に女性ファンが多い。
それも女学生を中心とした若い女性の。
舞台の開演中はその声援がロビーにまで聞こえてくるほどだ。
それだけ人気があるにも拘わらず、当のマリアはいたって謙虚だ。
…と、いうよりクールだと言った方が正しいのかもしれない。
更に付け加えるならば、マリアは自分にそんな魅力があることに気付いていないのだ。
まぁ、そんなマリアの態度も人気を向上させている要因の一つだとも思う。
でも、俺としては複雑な心境だ。
そりゃあ人気が無いよりもあった方がいいとは思うけど。
何かマリアが遠くに行ってしまうように感じられる。
いつか俺の手の届かないところに行ってしまうんじゃないだろうか。
つくづくそんなことばかりを考えてる自分の子供っぽさには呆れてしまう。
それはさておき、とにもかくにも今回の公演は大成功だったのだ。
…そんな訳で舞台の大成功とみんなの活躍を労って、楽屋で恒例の打ち上げが行われた。
みんな飲めや歌えやの今夜限りの無礼講にはしゃいでいる。
俺はみんなが楽しんでいるところに水を差さないよう、そっと席を立って中庭に向かった。
酔いを覚ましに行くということもあったが、少し頭を冷やしたい気分でもあったからだ。
中庭のベンチに腰掛け、シャツのポケットから煙草を一本取り出し火をつけた。
「…俺だけのものじゃないんだよなぁ…」
頭で解っていたつもりでも、やはり面白くない。
マリアが決してそれを自覚して無くてもだ。
「…頭を冷やせ、大神一郎」
それでもやはり自分だけが彼女を知っていたいんだ…。
自分がこんな心の狭い奴だと思いたくないさ。
でも本当なんだから仕方ない。
「ああ、隊長。ここでしたか。」
不意に呼ばれ振り向くと、そこには今いちばん会いたくない、でもいちばん一緒にいたい相手がいた。
「うん。ちょっと酔い覚ましにね」
マリアの顔も少し火照っているように見える。
珍しくみんなと一緒になって楽しんでいたからなぁ。
それだけ舞台の大成功が嬉しかったんだろう。
「隣…よろしいですか?」
俺が頷いたのを確認すると、マリアはベンチの俺の横に腰掛けた。
「みんなは?大丈夫?」
二人もいないんじゃ心配するんじゃないだろうか。
「大丈夫です。みんなそんなことにも気付かないほどはしゃいでいるんですから」
マリアはそう言って微笑した。
俺はマリアにそんな表情をさせることが出来るんだろうか…。
煙草の煙が夜の闇に溶けていくのを目で追いながら、そんなことを考える。
何を疑心暗鬼になってるんだ、俺は。
「…それより、」
「ん?」
「煙草…吸われるんですね」
そういえばマリアの前で煙草を吸うのなんか初めてかもしれない。
いや、帝劇に来てから初めてだ、人前で煙草なんて吸ったのは。
考えてみれば、ゆっくり考え事が出来るようになったのはつい最近なんだよな。
だから、余計なことまで考えてしまうのかもしれない。
「あ…、ごめん。今消すから」
気が付いて慌てて火を消す。
「あ、そうではなくて…。隊長が煙草を吸われることを知らなかったものですから」
俺のこの行動にマリアが慌てて前言を訂正した。
「ああ、たまにね。それに、女性の前で吸ったのはマリアが初めてだよ。だからこれは俺とマリアだけの秘密だ」
「秘密…ですか」
「そう、秘密」
何となく目が合い、笑いがこぼれる。
が、次の瞬間には何とはなしに沈黙が訪れ、俺はマリアに軽く口付けそして抱きしめた。
このまま何処かへ消えてしまわないように。
俺がずっと君を守るから。
「…例え、例え君が何処に行こうと誰のものになろうと僕の愛は変わらない…」
不意に『愛ゆえに』の一節が口をついて出た。
「隊長…?」
俺の突然の行動にマリアは当然のごとく戸惑いの表情を見せた。
「ほら、クレモンティーヌの番だぞ」
そう言ってマリアを促す。
「…あ、愛はあるがままに。愛は思いのままに…」
マリアはためらいがちに、少しうつむき加減で言った。
「その山がどんなに高く険しくとも…、今ならば越えられる。…そして、君を強く抱こう」
…そうだ。
何にも障害なんかないじゃないか。
俺だけしか知らないマリアだっているじゃないか。
何も迷うことなど無い。
想いが強くなればなるほどわがままになっていってしまうけど。
自分の気持ちが、想いが確かならば、いや確かだから俺は君だけを見つめていくだろう。
そんなわがままでさえ吹き飛ばして。
抱きしめていたその腕を解いて何となく空を見上げる。
自分のさっきまでの行動の恥ずかしさに今さら気付いた為だ。
「ごめん、マリア。少し…、強引だったよね」
考えてみれば俺、不可解なことばかりしてるよな。
ただの酔っ払いだと思われているかも。
「少しではなくて…、かなりです」
「面目ない」
「何か…あったんですか?」
今度はマリアが俺の顔を覗き込みように問い掛けた。
「どうして?」
逆に俺がそう問い返すと、うつむき少し考えてからマリアが言った。
「…先ほど、私が来る前です。隊長ひどく深刻な顔をされて何かを考え込んでいらっしゃるご様子でしたので、本当は声を掛けるかどうか迷ったんです」
そうか…。
見られていたのか。
かっこ悪いところを見られてしまったな。
「心配、かけちゃったかな…。でも、もう大丈夫だから。マリアが来てくれたから、ね」
そう言ってマリアに笑いかける。
君が来てくれなかったら、俺はまだ落ち込んでいたと思う。
「隊長…」
「…俺は君のことが好きだよ、マリア。うん。多分、君のことを想っている誰よりも君を好きだよ。だって、君のことに関しては誰にも譲りたくないって思うから。そう、誰にも譲れないよ」
そうマリアを見つめるとマリアはどうしたらいいか解らないらしく、困ったような表情をしてうつむいた。
「ごめん。困らせるつもりはなかったんだけど」
「い、いえ…。あの…」
「うん?」
「…本当に私なんかでよろしいんですか?」
不安そうな顔でマリアが言った。
いつもそうだ。
マリアの悪い癖だ。
すぐに自分を卑下してしまう。
「君だからだ。俺はマリアだから好きなんだよ」
君がその言葉を信じられないなら何十回でも何百回でも言ってあげる。
君がそれを信じられるようになるまで何度だって言うよ。
君はもっと弱くなったっていい。
もっと自分のことを考えたっていいんだ。
「…隊長…」
「…君を守れるのは俺しかいないと思ってる。大丈夫…。俺は絶対にいなくなったりなんかしないよ」
君を残して誰がいなくなったりするもんか。
もう君を独りになんか出来ない。
…独りになんかしないよ。
「…は…い…」
うつむいたマリアの瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。
「君はもっともっと幸せになっていいんだ。だから、もっと笑ってよ、ね?」
マリアの頬をつたう涙を指で拭い取り、そして額に軽く口づけた。
「…はい…」
少し照れくさそうに、でも満面の笑顔で。
どうか泣かないで。
君の笑顔が大好きだから。
俺はマリアが大好きだよ。
今度の休みには一緒に君の故郷に行こう。
そして、雪原に向かって祈ろう。
…俺たちがこれからもずっとずっと一緒にいられるように。